衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月17日    火曜日     第1 回の開示 合計2797回の開示

雑阿含経(三〇二)

原文:阿支羅迦葉が仏に申し上げた。「いかがでしょうか、瞿曇。苦は自ら作るものですか」。仏は迦葉に告げた。「苦が自ら作るものならば、これは無記である」。迦葉が再び問うた。「いかがでしょうか、瞿曇。苦は他が作るものですか」。仏は迦葉に告げた。「苦が他が作るものならば、これも無記である」。迦葉が再び問うた。「苦は自と他が共に作るものですか」。仏は迦葉に告げた。「苦が自他共作ならば、これも無記である」。迦葉が再び問うた。「いかがでしょうか、瞿曇。苦は自作でも他作でもなく無因に作られるものですか」。仏は迦葉に告げた。「苦が非自非他ならば、これも無記である」。

釈:阿支羅迦葉が仏に尋ねた。「どういうことですか、瞿曇。苦は自分で造り出すものなのですか」。仏は迦葉に答えられた。「苦が自ら作るというのであれば、これは無記(答えないこと)である」。迦葉が再び尋ねた。「では苦は他者が作るのですか」。仏は答えられた。「苦が他作であるなら、これも無記である」。迦葉が再び問うた。「苦は自他共同で作るのですか」。仏は答えられた。「苦が自他共同作であるなら、これも無記である」。迦葉が再び問うた。「苦は自作でも他作でもなく、原因なく生じるのですか」。仏は迦葉に告げられた。「苦が非自非他であるなら、これも無記である」。

原文:迦葉が再び問うた。「無因作とはどういうことですか。瞿曇。先に苦は自作かと問えば無記と答えられ、他作かと問えば無記、自他作かと問えば無記、非自非他無因作かと問えば無記と答えられました。では今この苦は存在しないのですか」。仏は迦葉に告げた。「苦が無いのではない。然るにこの苦は存在する」。迦葉は仏に申し上げた。「善きかな、瞿曇。苦が存在すると説かれたなら、私のために法を説き、苦を知り苦を見させてください」。

仏は迦葉に告げた。「もし受けることが自ら受けることであるなら、私は苦は自作であると説くべきである。もし他者が受け、他者が受けるのであれば、それは他作である。もし自受と他受が重なり苦となるのであれば、そのような自他作を私は説かない。もし自他によらず無因から苦が生じるのであれば、それも説かない。これらの辺見を離れ、中道を説く。如来の説法は『これあるが故に彼あり、これ起こるが故に彼起こる』。すなわち無明を縁として行が生じ、乃至純粋なる大苦が集起する。無明が滅すれば行も滅し、乃至純粋なる大苦聚も滅する」。

釈:迦葉が尋ねた。「無因作とはどういう意味ですか。瞿曇、以前に苦は自作かと問うた時、無記と答えられ、他作か、自他共同作か、非自非他無因作かと問うた時も無記と答えられました。では苦は存在しないのでしょうか」。仏は迦葉に告げられた。「苦が無いのではない。苦は存在する」。迦葉は仏に申し上げた。「素晴らしいことです、瞿曇。苦が存在すると説かれたなら、私に法を説き、苦を知り苦諦を見させてください」。

仏は迦葉に告げられた。「もし受けることが自ら受けることであるなら、私は苦は自作であると説くべきである。もし他者が受けることが他者自身の受けることであるなら、それは他作である。もし受けること、自受と他受が重なり苦となるなら、そのような自他作を私は説かない。もし自他によらず無因から苦が生じるなら、それも説かない。如来の説法は両極端を離れ、中道を説く。すなわち『これあるが故に彼あり、これ起こるが故に彼起こる』。つまり無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、乃至生を縁として老死憂悲苦悩が生じ、純粋なる大苦が集起する。また無明が滅すれば行も滅し、行が滅すれば識も滅し、乃至老死憂悲苦悩という純粋なる大苦聚も滅する」。

原文:仏がこの経を説き終えると、阿支羅迦葉は塵を遠く離れ、垢を離れ、法眼浄を得た。時に阿支羅迦葉は法を見、法を得、法を知り、法に入り、あらゆる疑惑を超え、他による知ではなく、他を因とせずして度され、正法と律に対して心に畏れ無く、合掌して仏に申し上げた。「世尊、私は今や度されました。今日より仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。生涯を優婆塞として過ごします。私を証知してください」。阿支羅迦葉は仏の説かれたことを聞き、歓喜随喜し、礼拝して去った。

釈:仏がこの経を説き終えると、阿支羅迦葉の心は五陰の塵世の煩悩から遠く離れ、法眼浄を証得した。この時阿支羅迦葉は十二因縁の法を見て証得し、十二因縁の法を知り、十二因縁の法に入り、一切の疑惑を滅し、他縁による知ではなく、他因によらずして度され、正法と律儀に対し心に畏れ無くなった。そこで合掌して仏に申し上げた。「世尊、私は今や度されました。今より仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。一生を優婆塞として過ごします。どうか私をお証しください」。阿支羅迦葉は仏の説法を聞き、歓喜し随喜し、礼拝して立ち去った。

——生如法師の開示
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