このように私は聞いた。一時、仏は拘留搜調牛聚落に住んでおられた。その時、異なる比丘が仏のもとに来て、頭を地に付けて礼拝し、退いて一方に座し、仏に申し上げた。「世尊よ、縁起の法は世尊が作られたものですか、それとも他の人々が作ったものですか」。仏は比丘に告げられた。「縁起の法は私が作ったものでも、他の人々が作ったものでもない。しかし如来が世に現れようと現れまいと、法界は常住である。如来はこの法を自ら覚り、等正覚を成じ、諸々の衆生のために分別して説き明かし、顕示するのである。いわゆる『これがある故に彼があり、これが起こる故に彼が起こる』とは、無明を縁として行が生じ、ついに純粋なる大苦が集起することを指す。無明が滅する故に行は滅し、ついに純粋なる大苦聚は滅するのである」。仏がこの経を説き終わると、その比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行した。
釈:他の部族から来た比丘が世尊に会い、頭を下げて合掌礼拝した後、傍らに退いて座し、世尊に申し上げた:「世尊よ、縁起の法は世尊が発明創造されたものですか、それとも他の人々が作ったものですか」。仏はこの比丘に告げられた:「縁起の法は私が作ったものでも、他の人々が作ったものでもない。しかし如来が世に現れようと現れまいと、法界は常住している。如来たちは皆、自ら縁起の法を覚り、等正覚を成就し、大衆のために分別して説法し、縁起の法を開顕されたのである。いわゆる『これがある故に彼があり、これが起こる故に彼が起こる』とは、無明を縁として行が生じ、ついに生を縁として老死に至り、純粋なる大苦が集起すること。また無明が滅する故に行は滅し、行が滅すれば識は滅し、識が滅すれば名色は滅し、名色が滅すれば六入は滅し、六入が滅すれば触は滅し、触が滅すれば受は滅し、受が滅すれば愛は滅し、愛が滅すれば取は滅し、取が滅すれば有は滅し、有が滅すれば生は滅し、生が滅すれば老病死憂悲苦悩という純粋なる大苦聚は滅するのである」。
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