衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月25日    日曜日     第1 回の開示 合計2736回の開示

いかにして二禅以上の禅定において思量し参究するか

諸仏は四禅定において成道される。一般の人は二禅に至ると、もはや参禅することができなくなる。なぜなら、この時意識が極めて微弱となり、意根の思惟考量を補助することができず、ただ意根単独の思量作用に頼るしかないからである。では諸仏が四禅定において悟りを開かれ、極めて深遠なる大悟徹悟、究竟悟、法の根源を徹見される際、意識の補助なくして、意根は如何なる智慧を具えるべきか。

二禅以上では法義を参究できないというのは一般向けの説である。実際には二禅及びそれ以上の禅定においても思考参究は可能で、道に入ることができる。では如何にして二禅以上の定中で思量参究するか。

入定前に、意根が極めて深い疑情を有している必要がある。心心念念、疑情に満ち、他の思想念頭がなく、他の法を遮断する。かくして一意専心に一法に縁起し、深く疑い、深く参究し、法義を明らかにせんと志す。この状態で座禅に入れば、足を組んだ瞬間に意識の顕著な心念は滅し、心は清浄となり、意根の思量を妨げない。五識は為すべきことがないため滅し、二禅定が現前する。ここにおいて意根は専心参究する。因縁が現起する時、意根に雑念が生じ、意識に念頭を生起させ、五識が現前すれば二禅定から出る。

意根が二禅から四禅定において思量参究する際、五遍行を具足するのみならず、五別境心所法も具足する必要がある。その勝解力と慧力は並々ならず、非常に強大でなければ悟道できず、法義を参究して通達し、三昧力を生じ、三昧の中に住することができる。定慧・勝解力・念力が少しでも不足すれば、悟道は叶わない。意根の五別境心所法が強大な者は凡人ではなく、聖人でなければ成し得ない。凡夫や賢者は精進修持し、意根の五別境心所法を強化して道力を増大させ、修道を速やかに進めるべきである。

——生如法師の開示
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