一切の法は生滅無常にして苦空なり、一切の法は幻の如く化の如し、一切の法は夢の如く露の如し、一切の法は風の如く影の如し、一切の法は泡の如く沫の如し。如何に執着し取ろうとも、結局は空、空、空、空以外に何もない。むしろ静かな庭に坐し、風雲の起こるを見、一切の法の来るを見、一切の法の去るを見よ。一切の法の起こるを見、一切の法の落つるを見、一切の法の生ずるを見、一切の法の滅するを見よ。されど心を一切の法の生滅に従わせず、一切の法の往来に従わせず、如何なる法にも執着せず取るな。一切の法は一切の法、汝は汝なり。一切の法は元より一切の法にあらず、故に心を空にせねばならぬ。
娑婆世界に人のある処に事あり、事ある処に是非あり。事々非々は凡夫にとって元来平常の事柄なり。もし不自然に感じ、事々非々あるべきでないと思えば、汝はもはや凡夫にあらず。凡夫は事々非々を即ち事々非々と見るが、心空の人は事々非々を見て即ち非々事々と見、或いは事々非々の生滅変異無常苦空を見、或いは事々非々を幻化の如く見、或いは影響の如く見、或いは夢露の如く見、或いは事々非々即ち菩提と見、或いは道と見、或いは真如と見、或いは仏性と見る。斯くして何処に尚お事々と非々あらんや。何処に禍乱あらんや。
世界は本来太平なり。汝の心太平ならざれば、一切の法太平ならず。世界の大乱は汝の心より起こり、汝は世界の大乱に責任を負わねばならぬ。然るに汝が巻き起こした世界の大乱に、到底責任を負い得ぬならば、如何にすべきか。修行せよ。心を滅せよ。心の貪瞋痴を滅し、心の多事を滅し、心の是非を滅し、心の相を滅し、心の執取を滅せよ。斯くして尚お何事と非とあらんや。世界は静謐ならずや。太平ならずや。空ならずや。汝の心を浄めれば、即ち一切の法を浄化し、世界を浄化し、衆生を浄化す。斯くして衆生を度したるにあらずや。浄土を成就したるにあらずや。これ即ち修行なり、これ即ち修行の結果なり、これ即ち修行の功徳なり。尚お何を求めんや。何を執着せんや。何を取り得んや。
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