(一)原文:如是我聞く。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく、我は宿命を憶うに、未だ正覚を成ぜざりし時、独り静処にありて、専ら禅思に精進し、かくの如き念いを起こせり。いかなる法あるを以ての故に老死あり、いかなる法の縁を以て老死あるや。即ち正思惟して、生の如実無間等を生ず。生あるを以ての故に老死あり、生の縁を以て老死あるなり。かくの如く取あり、愛あり、受あり、触あり、六入処あり、名色あり。
釈:世尊は諸比丘に告げたまう、我が過去世において未だ正等正覚を修得せざりし時を回想するに、独り静寂なる場所にて一心不乱に思惟に専念せり。その心にこのような念いが生じた。いかなる法が存在するが故に老死が生起するのか。いかなる法が縁となって老死が生起するのか。直ちに正思惟に入り、正思惟を終えて後、如実にして断絶なき智慧が生じ、生あるが故に老死が現れること、生の縁によって老死が生起することを知見せり。
このように順次に遡って観察するに、生命体の発生は三界器世間の存在を縁とするが故に生起し、三界有為を縁として生命体が生じること証得せり。三界器世間の存在は衆生が五陰世間法を執取するが故に生じ、執取を縁として有が生起す。衆生が五陰世間に対し貪愛あるが故に執取が現れ、貪愛を縁として執取現象が生起す。衆生が五陰世間に受あるが故に貪愛が生じ、受を因として貪愛が発生す。衆生が六根と六塵の触あるが故に受が生じ、触を縁として受が生起す。衆生が内外六入あるが故に触が存在し、六入を因として触が生起す。衆生が名色あるが故に六入が生じ、名色を縁として六入が発生す。
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