衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年09月29日    火曜日     第4開示 合計2660開示

雑阿含経(二八七)の一

(一)原文:如是我闻。一时。佛住舍卫国祇树给孤独园。尔时。世尊告诸比丘。我忆宿命未成正觉时。独一静处。专精禅思。作是念。何法有故老死有。何法缘故老死有。即正思惟。生如实无间等。生有故老死有。生缘故老死有。如是有取。爱受触。六入处名色。

解釈:世尊は多くの比丘たちに告げられました。私は宿命を回忆して、まだ正等正覚を修めて成っていないとき、一人で静かなところに独り在り、一心に専ら禅思(瞑想思惟)に専念していました。そのとき内心にこのような念いが生じました。どのような法が生まれるがゆえに、老死もそれに伴って生まれるのか。どのような法を縁として老死が生まれるのか。直ちに正思惟に入り、正思惟ののち、如実にして無間断の智慧が生じ、生命体が生まれたならば老死もそれに伴って現れ、生命体が生まれるがゆえに老死が現れるのだと知りました。

このように一つ一つ順に遡って類推していくと、生命体の生起は三界の器世間が現れるがゆえに、生命体がそれに伴って現れるのであり、三界の有為を縁として生命体が生まれるのだと証しました。三界の器世間の有が現れるのは、衆生が五陰世間の法を執取するがゆえであり、有がそれに伴って現れるのであり、衆生の執取を縁として、有が生まれるのです。衆生が五陰世間に対して貪愛を有すれば、執取が現れます。貪愛のゆえに、執取という現象が現れるのです。衆生は五陰世間に対して受を有するがゆえに、貪愛があるのであり、受のゆえに貪愛が生まれるのです。衆生は六根が六塵に対して触れるがゆえに、受が生じるのであり、触のゆえに、受が生まれるのです。衆生は外の六入と内の六入とを有するがゆえに、触が生じるのであり、内外の六入が有するゆえに、触が生まれるのです。衆生は名色という原因があるがゆえに、六入がそれに伴って生まれるのであり、名色を縁として六入が生じるのです。

——生如法師の開示
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雑阿含経(二八七)之二

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