(二)原文:例えば大樹の根や幹、枝、葉、花、果実がある。下根は深く堅固で、肥土を施し水を注げば、その樹は堅固となり永劫に朽ち果てない。比丘たちよ、このように執着する法に従って味わいを生じ、心を顧みて縛られれば、その心は駆け巡り名色を追い求める。名色は六入処を縁とし、六入処は触を縁とし、触は受を縁とし、受は愛を縁とし、愛は取を縁とし、取は有を縁とし、有は生を縁とし、生は老病死憂悲悩苦を縁とする。かくの如く純粋なる大苦が集起するのである。
釈:仏は説かれた:例えば一本の大樹があり、根、幹、枝、葉、花がある。我々が根を深く地中に植え、土を固め肥やしを施し水を注げば、この樹は堅固に成長し永遠に朽ち果てない。比丘たちよ、木を植える道理と同じように、あなた方が執取する法(五陰・六根・六塵・六識)に対し、法の出現に従ってこれに耽溺し、心に顧みて縛られれば、心は法に駆られて名色を追い求める。名色を縁として六入が生じ、六入を縁として触が生じ、触を縁として受が生じ、受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老病死憂悲悩苦が生じる。かくの如く純粋なる大苦悩が集起するのである。
原文:もし執取する法に随順して無常観を修し、生滅観に住し、無欲観・滅観・厭観を修すれば、心は顧みることなく、何ものにも縛られない。識は駆け巡ることなく名色を追わない。すると名色は滅し、名色が滅すれば六入処が滅し、六入処が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、受が滅すれば愛が滅し、愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老病死憂悲悩苦が滅する。かくの如く純粋なる大苦聚は滅尽するのである。
釈:仏は説かれた:このように比丘たちよ、もし自らが執取する法に対し無常性を観じ、無常性に随順して証すれば、心は一切法が生滅するという観念に住する。元来執取していた法に対し欲求がなくなり、心はこれらの法を滅し厭離しようとし、再びこれらの法を顧みることがなくなる。心はもはやこれらの法に縛られない。
もし七識心が名色・五陰・十八界法を追い求めなければ、名色は滅して現れない。名色が滅すれば六入処が滅し、六入が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、受が滅すれば貪愛が滅し、貪愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば三界世間の有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生命体が生じなければ老病死憂悲悩苦が滅する。かくして衆生の最大最根本の苦悩は再び集起せず、生死の苦は消滅するのである。
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