衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2020年09月20日    日曜日     第2 回の開示 合計2632回の開示

人が法に依らず、法に依らないが故に論争が生じる

末那識の作用を現量の如実観察できるためには、唯識の種智の智慧が必要であり、最低でも初地の菩薩の観察智慧がなければなりません。末那識を観察できず、その真実を了知しないが故に、論争が生じるのです。浅い法に論争がないのは、誰もが現量で観察できるからです。観察できないものについてこそ論争が起こるのであり、さもなければ、何を争うことがあろうか?白は白であり、黒は黒です。白黒を弁えられないからこそ、論争が生ずるのです。

末那識にどのような心所法があるか、いったい誰が実際に観察検証できましょうか?第六識と第七識はともに煩悩に染まっており、これほど重い覆障があるのに、どうして実際の観察ができましょうか?もし検証できる者がいるなら、その検証過程を述べてみよ。

法に依るとは、末那識の運行する真実相に依ることであります。末那識を観察できなければ、どうして末那識の真実相に依って末那識を定義できましょうか?どうして実際の実相法に真に依ることができましょうか?実相法に依ることができなければ、それは人に依ることになり、人に依るのは仏法修証の宗旨に合わず、誤りや欠落が生じ、仏意に背き、ましてや悟りを得ることはできません。

——生如法師の開示
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