衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年09月21日    月曜日     第1 回の開示 合計2633回の開示

縄を蛇と見ることから見る衆生の心識の問題

人が縄を見る時、眼識が見るべきは縄の色彩、つまり色塵であり、その他の縄の長短・太細・材質・紋様などは法処所摂色であり、五倶意識が認識する法塵に属し、すべて四大種子を含んでいます。眼識に映じるのは性境であり、五倶意識に映じるのは似帯質境です。この二者が和合して縄を分別し終えると、世俗人が通常得るべき結論に至り、正常な世俗人と見なされます。その後縄に対する処理も常人と同じ対応となるはずです。

もし何らかの原因で心識が錯乱すると、縄を見て蛇と錯覚する可能性があります。眼識が縄を見る際、色彩という色塵は変わらないものの、意識が縄の法塵を認識する際、強引に蛇の形象を分別し、法塵を改変してしまいます。この改変された法塵を独影境と呼び、意識が単独で了別し、眼識は意識と共同で了別しません。法塵の改変が大きければ大きいほど、意識の錯乱は深刻化し、縄の本質を帯びる部分が少なくなるほど事実から乖離し、心はますます狂乱します。逆に縄の本質を多く帯びるほど、事実に近づき、心も正常に近づきます。

縄を見る過程では、法塵と独影境が共存する可能性がありますが、両者は拮抗関係にあります。完全に独影境となれば縄は完全に蛇と認識され、人は完全に錯乱して逃げ出します。一部の法塵が蛇の独影境に変わった場合、恐怖を感じつつも疑念が生じ、恐れながらも仔細に観察を重ね、縄と確認できた時点で独影境が完全に法塵に戻り、恐怖が消えて正常に対処できます。心理暗示の影響が強く蛇と確信した場合、法塵は完全に独影境となり、人は逃げ出すでしょう。

娑婆世界の凡夫において、心識錯乱者は枚挙に暇がなく、程度の差はあれ精神異常を抱えており、完全正常な者は稀です。なぜなら貪瞋痴の煩悩業障が心神を乱し、認知錯誤が蔓延し、人事物理を正常に判断できず、事実真相を認めず、邪見から生じた独影境(根拠あるなしに関わらず)を妄執するからです。

心理素養が高く精神状態が正常な者ほど、心が淡泊で平静穏やかであり、反応も小さく波立ちません。逆に心が波立つほど、周囲への影響力(破壊力)が増大し、人事の混乱を招き集団を不安定にします。集団全体の精神錯乱現象は珍しくなく、今後さらに増加するでしょう。主導者の錯乱が全体を薫染し、構成員全員の心識を乱すためです。集団の問題が増大し続けると、隠し切れなくなり、やがて崩壊に至ります。

八地菩薩でも初地菩薩でもない限り、誰もが薫染を受ける可能性があります。どのような薫染を受けるか、どう薫染されるかは各人の選択権に属し、他者が奪うことはできません。故に選択は智慧と業力・福徳の問題に関わります。正しい選択ができるのは智慧あり、業障が軽く福徳ある証です。ある薫染の影響は一生涯に留まらず、多生あるいは永劫にわたり習性として現れます。環境や接する人事物理を選ぶことも極めて重要です。

——生如法師の開示
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