衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年09月19日    土曜日     第1 回の開示 合計2629回の開示

業障は意識によって消除されるのでしょうか、それとも意根によって消除されるのでしょうか。どのように消除されるのでしょうか。

業障とは無明障であり、無明の力によって造られた悪業が感得する自心への障害である。自心を阻んで善報を得られず、善果を得られず、善業も得られず、善法が成就せず、更に一切法に対する智慧の認知を妨げる。無明は最初に意根にあり、その根本は意根の無明にある。意識の無明も最初は全て意根から来る。意根の無明の影響と駆動を受けるため、意識も環境に染まってしまう。意根の無明が断たれた後は、意識はもはや環境に染まることがなく、更に意根の無明に染まることもない。こうして意識は清浄となる。意識が最終的に清浄となるのは、意根が清浄になった結果である。もし意根が清浄でなければ、必ず意識を駆って不浄業を行わせ、染汚業種が形成されれば、後世の業障が生じる。故に一切の業障は意根が清浄になった後に消滅する。なぜなら意根が発端であるからで、鈴を解くのは鈴を結んだ人によるのである。

意根の福徳が増し、定力が強まり、智慧も増大すれば、無明が一部消滅し、心性も部分的に転換し、性障も一部消滅する。善法・善業・善果・善報・善縁への遮障が一部除去され、仏法修学における遮障も既に一部軽減される。意根の無明がどれだけ消滅すれば、心もそれだけ清浄になり、業障もそれだけ減少し、善業もそれだけ増加する。

我見を断じて証果し、明心見性した時、禅定と智慧が大いに増し、根本的な転換を得る。心性も同時に根本的な転換を得て、心が清浄となり、法眼浄を得れば、性障は一部消滅する。こうして三悪道の業もそれに従って消滅し、再び三悪道で苦しみを受ける必要がなくなることを示す。残りの業は人間界で受報すればよい。衆生が三昧を一つ証得する毎に、業障の一部が消滅する。小乗の二果・三果・四果を含み、大乗の各関門を含み、入地・一地・二地・三地も含まれる。智慧が増長し、思想観念が変化し、心が変容し、性障が消滅すれば、相応する業も消滅する。懺悔もまた宿世の業障を消滅させる。内心の意根が自らの無明・愚痴・煩悩を認識し、改める決心をし、心が変化すれば、相応する業障が消滅する、あるいは一部が消滅するからである。

業は定業と不定業に分かれる。定業は転じられず、必ず受報して初めて消える。しかし不定業は転じることができ、必ずしも受報しなくてもよい。あるいは懺悔によって一部を消滅させ、一部を受報する。仮に定業でも特殊な状況では転じられる。特殊な状況とは、衆生の心力が強大で、智慧が強大で、禅定力が強大で、懺悔が殷重で、心性が極めて大きく転換した場合である。もし全ての業が転じられず、必ず受報しなければならないなら、世に一人も仏となる者はない。なぜなら衆生の業はあまりに多く重く、到底報い終えることができないからである。またもし業が転じられないなら、衆生の懺悔は無意味となり、業を消すことができない。

——生如法師の開示
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