答:たとえば潔癖症の人が豚と一緒に閉じ込められ、豚が自分の草の巣の中で大小便をするのを見て、この人は我慢できずに豚を蹴り飛ばした、これが雷霆手段です。またたとえば、すでに心が清浄になった菩薩が五濁悪世に来て、貪瞋痴の衆生と共にいて、衆生が無明深重で愚痴の業を造作しているのに自覚せず、さらに教化も受けようとしないのを見て、我慢できず大声で呵責する、これが金剛怒目です。
<h2 style="text-indent: 2em;">問:では、それでは菩薩は慈悲がないと言われてしまうのではありませんか?</h2>答:慈悲か慈悲でないかは、決して衆生が定義するものではありません。菩薩は衆生のために心を尽くしても、衆生は心も肺も持たず、心肺をも識りません。罵られるのは免れないことで、五濁悪世において衆生に罵られないというのは、それはあまりに不正常なことです。さもなければ、退転する菩薩などいるはずがありません。
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