目を閉じて坐禅を組むと、しばらくして心の動きが次第に少なくなり、様々な映像が現れます。これらは意識心で考え出したものではなく、意識心で見ようとすると映像は消えてしまいます。再び静坐すると、また様々な映像が現れます。
静坐中に現れる映像には、意識心で作り出したものと、意識心では作り出さずに直接脳裏から現れるものとがあります。これは意根から生じる現量の境界であり、最も真実で有用な智慧を開くものです。意識心で観察しようとすると、定力が薄れ弱まり、境界は消失します。意識心は干渉作用を持ち、意根の智慧の生起を妨げます。意識心で作り出したものは情思意解の結果であり、時に妄想念から生じる非量の境界で、大した役には立ちません。真に証明すべきもの、自ら証すべきものは、必ず直接脳裏から現れるものであり、意識心は後知後覚で気付き、そして豁然と悟るのです。真の悟りとはこのようなものであり、定力がなければこのような根本的な悟りを直接得ようと妄想すべきではありません。
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