夢幻観が成就した後、直接十回向の菩薩果位を証得し、速やかに地に入る。娑婆世界にはこのような者はほとんどおらず、古代を含めても同様である。幻観の修行が成就すれば、そのまま十住位の菩薩となる。明心なくしてこのような菩薩となれるか?耳根円通の法門を修め成就すれば、直接等覚菩薩の位を証得する。私は今生では修められず、長年人々に講義を求められて推測を試みたが、一部を説いたところでどうしても続けられず、でたらめを語るわけにはいかなかった。他者がこれを修めようとするなら、一無量劫を経てからである。さらに円覚経の修行法門は、初地菩薩の証量なくしては全く考えるべくもなく、私自身も必ずしも修め得るとは限らない。
実証を経ていない者の説法は飛躍的であり、修行も的を外れている。なぜか。経験がないからである。自らの想像と推測に頼り、感覚に依存する。一生修行しても門戸に触れられない。歩んだ道こそが具体的な経路を知り、次第を有するのである。
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