衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年04月25日    土曜日     第2開示 合計2300開示

我性の相貌

世界のどの地域の衆生が最も我見が重く、我執が強いでしょうか。自我を強調する衆生が我見が最も重く、我執が最も大きいのです。仏法はインドに起源を持ち、のちに中国・震旦に伝わり、西天インドの仏法は次第に衰え、中国・震旦の仏法はますます盛んになりました。達磨祖師は西天において震旦に大乗の気象があるのを観て、命の危険を冒して西天インドから飛んで中国に来り、法を伝えて迷える有情を度したので、大乗仏法は広く伝わり、大乗の人材が次々と輩出しました。そこに禅宗六祖が出世し、さらに西天祖師の第二十八祖が住世したことで、大乗仏法は泰山の如く安定したのです。

仏法はなぜ西洋などの国々に伝わらず、あえて中国・震旦に伝わったのでしょうか。それは国家や地域の文化的素地、人文的素養の違いによるものです。中国には儒家や道家などの文化的素地があり、中庸の道は人間性の根本を顕わします。人間性が具わってこそ菩薩性と仏性が具わり、人間性が具わらなければ、菩薩性はなおさら具わりません。現在の世界的な肺炎の疫病から見ると、これほど深刻な感染症であるにもかかわらず、あの国々や地域の人々は自由を求め、人権を求め、自分さえ快適であれば、他人の生命の安危をまったく顧みません。これこそが利己的な我見・我執なのです。あの人々の求める自由は何を意味しているのでしょうか。彼らが主張する人権は何を意味しているのでしょうか。完全に「我」であり、我見であり、我執なのです。

たとえそのようないわゆる自由が他人の利益を損なわないとしても、そのような自由は完全に我性を表しており、強調しているのは「我」です。いわゆる人権も、すべて自我の権利を顕揚しようとするものであり、自我を際立たせるものであり、すべて我性なのです。独立すること、自主であること、平等であること、自由であること、権利であること、地位であること、これらの要求はすべて、根深く染みついた一つの「我」に起源を持ち、自我の存在感を強調し、自我の解放を追求し、その「我」を抑圧しようとしないことです。このように深く重い我性では、大乗仏法を感招することはできず、度される因縁は成熟しません。

同じ理屈で、単独の一人の個人であっても、我性が強く、貪・瞋・嫉妬があり、自我の主張が非常に強烈であれば、度される因縁もまた成熟しません。たとえ仏法に出会ったとしても、この生この世で我見を断除して度脱を得ることはないでしょう。仏法を学ぶ者は、常に警覚の心を保ち、しばしば自分の心行・心性に注意を向け、自我の意識が頭をもたげるのを発見したら、仏法の理論で思惟し、自分を開導し導かなければなりません。自我を氾濫させてしまえば、最後には災いとなって収拾がつかなくなります。我性の表現形式、我性の様相、我性の特徴、我性が現れやすい環境を細かく理解し、それから適時にその「我」を捉え、観照し、整理し、説得し、教育し、勧め、降伏させ、ついには最後に断除するのです。そうなれば、あなたは天に立ち地に立つ立派な人物となり、世間の頂点に居て、人中の雄となるのです。これはなんと痛快なことでしょうか!

——生如法師の開示
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一切法不理会すれば、自然に過ぎ去っていく

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