衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年04月25日    土曜日     第3開示 合計2301開示

一切法不理会すれば、自然に過ぎ去っていく

よく「念の起こることを恐れるな、ただ覚りの遅れることを恐れよ」と言う人がいます。しかし、どのように覚ろうとも、念はすでに現れており、定(じょう)はなくなっているのです。その瞬間は結局のところ、覚ってはいなかったのです。後知後覚では、亡羊補牢(羊を失ってから柵を直す)にすぎず、結局羊はすでに逃げてしまっています。座禅を組んでいるときはうまくできていて、清明に澄み切っているのに、突然一つの念が起こったら、それにかまわず、過ぎ去らせてしまえばそれでよく、また引き続き定に入ればよいのです。もし構ってしまうと、また一つの念が起こり、二つの妄念が現れることになります。念頭を覚るという妄念は、往々にして引き延ばされ、さらにこの念を起こしたことを後悔すると、定を保つことが非常に難しくなってしまいます。

一切の法にかかわらないでいれば、自然に過ぎ去っていきます。遅かれ早かれ必ず過ぎ去るのです。一つの法、一つの現象で、長く存在し続けられるものはなく、生じたり滅したりしていて、生まれたものには自然に滅する時が来ます。滅する時、その法はもはや何ものでもなく、生じた時も本来何ものでもなかったのです。かかわらない心は清浄(viśuddha/pariśuddha)です。万法が来ればその来るのを見守り、去ればその去るのを見守り、自ら生じ自ら滅してひとり遊ばせておけばよいのです。あなたはただ芝居を見るつもりでいればよいのです。

——生如法師の開示
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