世界のどの地域の衆生が最も我見が強く、我執が最も強いのか。自我を強調する衆生ほど我見が最も重く我執が最大となる。仏法はインドに起源を持ち、後に中国・震旦に伝わり、西天インドの仏法は次第に衰退し、震旦の仏法はますます興隆した。達磨大師が西天において震旦に大乗の気象を見出し、命懸けでインドから中国へ渡来し、法を伝えて迷情を度脱したため、大乗仏法は広く伝播し、大乗の人才が次々と輩出した。こうして禅宗の六祖が出現し、西天二十八祖の住世と相俟って、大乗仏法は泰山のごとく揺るぎないものとなった。
なぜ仏法は西洋などの国々に伝わらず、特に中国・震旦に伝わったのか。これは国家地域の文化的素養、人文的教養の差異に起因する。中国には儒家や道家などの文化的基盤があり、中庸の道によって人間性の根本を顕現させた。人間性を具えて初めて菩薩性や仏性が具現する。人間性を欠けば菩薩性もまた具わらない。現在の世界的な肺炎感染状況を見るに、これほど深刻な伝染病の際に、ある国々の民衆は依然として自由や人権を主張し、自己の快楽のみを求め、他人の生命安危を顧みない。これこそ自己中心的な我見・我執である。彼らの求める自由は何を意味するのか。主張する人権は何を表象するのか。全ては「我」、すなわち我見・我執に他ならない。
仮にそのような所謂自由が他人の利益を損なわないとしても、その自由は完全に我性を表し、自我を強調するものである。所謂人権もまた自我の権利を顕揚し、自己を突出させるもので、全て我性に帰着する。独立を求め、自主を主張し、平等を叫び、自由を希求し、権利を主張し、地位を求める――これらの要求は全て深く根ざした「我」から発し、自我の存在感を強調し、自我の解放を追求し、その「我」を抑圧しないことを求める。かくの如き深刻な我性は大乗仏法を感得する機縁を成熟させず、度脱の因縁が熟さない。
同様に、個人においても我性が強く、貪欲・瞋恚・嫉妬が激しく、自己主張が過度な者は、度脱の因縁が熟していない。仮に仏法に遇うことがあっても、この生この世では我見を断じ、度脱を得ることはない。仏法を学ぶ者は常に警戒心を保持し、絶えず自己の心行と心性を観照し、自我意識が頭をもたげるや、直ちに仏法の理法をもって自らを導き、自我の氾濫を許さず、ついには制御不能の災いとならぬよう心掛けねばならない。我性の表現形式、その様相、特徴、現れやすい環境を細やかに観察し、適時にその「我」を捉え、これを観照し、整理し、説得し、教化し、諫め、調伏し、遂にはこれを断除するに至れば、そなたは天地に聳える偉丈夫となり、世間に君臨する人中之雄となる。これこそ真の快楽ではなかろうか。
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