末那識は常に阿頼耶識の見分によって見られる法を我と我の所有として執着し、法に繋缚されるため、解脱できない。阿頼耶識がどの法を見るか、それは鏡のようにその法を現す。現された法は末那識によって縁起されると、これらの法は全て我と我の所有であると考え、貪愛と執着が生じる。もし末那識が明確にこれらの法は全て阿頼耶識のものであり、我のものではないと認識すれば、末那識は無明を断除し、人我見と法我見を断除し、正見を得る。それにより、これらの法を我と我の所有として執着せず、一切法から解脱し、仏となる。
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