参禅と観行は、その意味にいくらか違いがあります。観行は修行の始めから終わりまで貫かれるもので、深さや浅さがあります。一方、参禅は集中力を尽くして自性清浄心を参究し、心の所在を明らかにし、真実の心の体性と働きを理解しようとするものです。参禅に含まれる「禅」という文字は真実の自性を表しており、この自性を参究することは修道において極めて重要で核心的な意義を持ちます。涅槃や成仏はここから始まるのです。これに対し観行は広範な範囲に及び、その深さも様々です。いかなる時期、いかなる境地においても観行は可能で、一切の法を観行の対象とすることができます。得られる成果は大小さまざまであり、観行時間も長短自在です。ひとたび満足のいく結論に至れば観行は一段落し、新たに不明な問題が生じた際に再び観行を続けるのです。
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