衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年02月03日    月曜日     第2開示 合計2129開示

菩薩の因明学

菩薩の因明学は宗因喻と呼ばれます。宗とは宗旨・観点のことであり、因とは論述すべき理論のことであり、喻とは譬喩・事例・事実のことです。宗因喻をどのように運用するか、例を挙げて説きます。

ある人は意根は六根の一つであり、五根と同じく有色根であると言います。わたしたちは如理如法な論理的思惟を経たのち、論証と論述を加えて、意根は有色根ではなく、無色根であるとします。まず論証の題目、すなわち観点・観念・宗旨は「意根は無色根である」ということです。宗旨が提出されたのち、全面的かつ完全な論述・論述を加え、論拠と論理を提示し、理念を明確に論述したうえで、さらに実例を挙げて証拠とし、事実をもって語らせます。こうすることで、理論と論拠は宗旨にしっかりと結びつき、実例は論証と理念にしっかりと結びつき、一環また一環とつながって、厳密に隙なく、すき間がなく、説得力が最も強くなります。たとえ反対する者がいても、一つ二つ三つと理由を述べることはできず、反対のための反対、討論のための討論であれば、その反対や討論は無効となります。

もちろん、緻密な論理的思惟がなければ、智慧の力が不足しており、論拠も不十分となり、強力な理論的支えがなく、論述された内容は宗旨の正しさを説明できません。思惟が緻密でなければ、論述が全面的でなければ、すき間や抜け穴が生じ、説得力がなく、人を説得するに足りません。挙げた事例が非常に牽強であれば、論拠の正しさと合理性を補助的に説明できず、論拠の説得力も大きく低下し、人を折伏できません。論理的思弁力は、修行者の智慧の階層を表すものであり、智慧が強大であるほど、思惟は緻密になり、思弁力は強大になり、説得力が増し、衆生を度する能力も強くなります。菩薩道を行く者は、問題に遭遇したら深く細やかに思惟観行 (vipaśyanā-caryā) を行い、絶えず自分の論理的思惟・観察力を高めていくべきです。もちろん前提として非常に深いじょう (samādhi) が必要であり、思惟が必要なときには、一切の干渉を排除し、全力を尽くして深く思索するのです。

——生如法師の開示
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意根は無色根であり有色根ではない

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