六識には自性がなく、自らを決定する力もなく、自らの主宰となることができません。六識は生じられた法であるため実体がなく自在でなく、その表層的な機能作用は全て如来蔵によって賦与されたものであり、如来蔵に由来するものです。一切の法に自性があるとすれば、それも如来蔵に由来し、客観的に見れば全て如来蔵の自性であります。六識の汚れの源は意根にあり、意根から生じます。意根が汚染されれば六識は必然的に汚染され、意根が清浄であれば六識は必然的に清浄となります。意根は六識の染浄依であります。一切の法が生起する際には必ず七識と八識の伴侶があり、これら二識の働きの結果であります。
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