衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年11月04日    月曜日     第2 回の開示 合計2008回の開示

第八識を眼識することについて

第八識は形も相もなく、肉眼では見ることができないが、心眼・慧眼・法眼・仏眼によって見ることができる。この中で慧眼・法眼・仏眼は総じて心眼と呼ばれ、三種の眼が見るものには極めて大きな差がある。智慧に差があるため、見えるものにも必ず差が生じるのである。形も相もない第八識の本体を、どうして見ることができるのか。第八識の本体は空であり見ることはできないが、非常に多くの運行の行相と機能作用を有している。第八識の運行の行相は心行や心所法とも呼ばれ、その機能作用は万法を成就し、一切法の相貌を顕現させ、一切法に相応する機能作用を付与する。慧眼は法眼や仏眼に比べて智慧が浅く覆い障られるため、見える第八識の行相は浅く少なく粗雑である。法眼が見る第八識の行相は広範かつ深細であり、仏眼は円満無礙で、見えるものは第八識の全体の行相であり、微細極まりなく一法も知らざるものなく、乾坤を明るく照らし、毫厘をも洞察する。

第八識が運行する行相は現量観察によって得られるもので、証悟していない者は見ることができず、悟っていない者は第八識の起こす作用を推測するのみで、第八識の行相を観察することはできない。この点から完全に、その人が悟っているか否か、真の悟りか偽りの悟りかを判断することができる。第八識の機能作用は仏典や祖師大徳の開示から推し量ることができ、推論によっても大略の作用を導き出すことは可能であるが、少し細かく推論するのも難しく、細かなことは聞いたのでなければ、必ず自ら現量観察して初めて得られるものである。よって修行者各自が真の大智慧を獲得し、慧眼と法眼を具えるためには、戒定慧を修行し、苦労を厭わず、真実の修証を積み重ねなければならず、そうして初めて真の解脱の功徳を受用することができるのである。

——生如法師の開示
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五蘊は第八識にあらず、小乗観行の結論ではありません

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第八識は現量によって観察可能です

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