衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年11月01日    金曜日     第1 回の開示 合計2001回の開示

淬啄同時

修行者が未だ道を成さざる時は、皆割れざる卵の如し。この卵をいつ如何にして割るか、実に大いなる学問にして大いなる文章なり。時節因縁を誤れば、割れて後は腐卵と化し、食用にも適さず、まして雛の誕生など望むべからず。外力のみに頼って卵を割らんとする時、往々にして無用の腐卵を生むのみ。

故に修行は主に自力を要し、外力は温もりを与えれば足る。内に自ら変化し、自らを改むるなり。腐卵となるを厭わば、他者の引き立てを過度に期待すべからず。或る者、学び始めて日浅く、卵の生々しき時に、師に急ぎ導きを求め悟りを開かんとす。かくの如き悟りに何の益あらんや。何を悟るとも無用の材となるのみ。生卵の温もり始めたるや、焦りて殻を破らば、せいぜい料理の種となるべく、大器成り難し。

殻中の生命が漸く成熟する時、様々の兆候現わる。遂には雛自ら殻を啄み、啄み破り難き時、嘴の将に破れんとする処に於いて、外力軽く一撃を加えれば、生命は見事に誕生し、強健にして生命力漲る。

雛の誕生は、その大半が自らの努力の賜物なり。一小部分は外部の温もり環境と雌鳥の慈育に依る。

修行もまた然り。その九分九厘は自らの精進に依り、一分は師の教導と助力に在り。

往時の祖師たち弟子を接引するや、啐啄同時を極め、時節を掌握し給えり。何故ならば、祖師は真の祖師、真の禅師にして、真に道を具え、道力のみならず道眼を備え、機を観て教えを逗す。当時の学人は幸運なりき。三十七菩提分を修めず、六波羅蜜を具えざる者に、禅師決して手を下さず。弟子の法身慧命は最優先なり。慢心せず、責任感極めて重し。

若し乱りに接引を為す者あらば、数を揃えるの嫌疑あるを知るべし。その人に道なきを悟り、避くるが最良なり。卵を護り、安易に破らざるべし。誰が求めるとも、進んで破らんとするは悉く拒絶すべし。

——生如法師の開示
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修行者には必ず様々な試練が伴う

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