衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年10月25日    金曜日     第1 回の開示 合計1978回の開示

意根が意識の別境慧から離れるならば、何も為すことができなくなるのでしょうか?

意識がない場合の具体的な事例を見ると、この問題の答えが分かります。意識がない場合、例えば夢がない睡眠時や夢がある睡眠時において、意根は何をしているのでしょうか?無為事、塵境に触れず、境界を了別しないのでしょうか?明らかにそうではありません。一切の時において、如来蔵はすべての法を出生し变现します。意根はすべての法を黙容する特性を持ち、如来蔵に依拠して如来蔵が二次幻化した法に触れ、如来蔵が見た法を自分が見たものとして扱い、これらの法を自分所有のものとして扱い、種々の心行や想法を生じさせ、夢境を出現させます。夢中の一切思想観念は意根のものであり、一切心行も意根のものです。意識は意根を補助する作用のみ起します。従って、一個人の真実修行の如何は、夢中の表現を見る必要があります。

昏迷時には意識がないですが、意根はこのような昏迷を甘心せず、身体が稍々好转した時には挣扎して醒过来しようとします。これは、意根が昏迷時意識がない場合において思想活動があり、心所法が運行していることを説明します。時刻に身根の状況を關注し、身根の状態を了別し、昏迷が不好であることを知り、醒过来する方法を考えます。ある人は昏迷時に親近の人を探し解救自己し、情報を伝遞し、親近の人に自分がどこにいる、何状況であることを告します。従って、意根は独立の人を代表し、種々の心行心所法を持ち、内心活動が多いですが、操作時には意識と五識の配合が必要で完了罷了。

——生如法師の開示
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