衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年09月30日    月曜日     第1 回の開示 合計1946回の開示

第七識の了別における三つの方法

非量とは、識心の了別の結果が誤りで事実に合致しないことを指すのか、それとも識心の了別の方法が想像・空想・推測・予測を可能にすることを指すのか。これは識心の了別の方法が想像・空想・推測・予測を可能にすることを指します。

そうすると、非量の了別方式を持つのは意識のみであり、五識は必ず現量で了別し、意根も必ず現量で了別し、第八識は全て現量で了別します。了別されるものは全て現量の境界です。なぜなら一切の法は第八識が即時に顕現したものであり、第八識にとっては全て現前に存在する法であるため、すべてが現量の境界となるのです。

現量の境界でない法は、第七識である意根が縁にすることも認知することもできません。したがって意根に何らかの法を受け入れさせ認可させるには、現量の法でなければならず、事実に基づき、極めて真実で、理路が明晰で、法則性が認められる必要があります。このため意根の我見断ちは意識の我見断ちよりもはるかに困難であり、ただ考え巡らすだけでは済まず、深透した思惟観行が必要です。意根が絶えず考量を重ね、理由が充足し道理が明瞭になり、事実として現れるまで、意根は認可しないのです。

五識も現量で五塵の境界を了別します。現在存在しない五塵については、五識は想像的に了別することも、何らかの五塵境界を空想することもできません。

そして意識が想像し空想し回想し展望するあらゆる法は、必ず第八識が影像を現出させなければなりません。無から有を生じたと言えますが、全て第八識が幻化し執持するものです。よって第八識が了別するものは全て現量法であり、非量や比量で何らかの法を了別する必要はありません。

いかなる人の意識が了別する時も三量を有します:現量・比量・非量です。現量知とは、現前に存在する法を知ることであり、現在存在しない法は知りません。回想や想像比較を用いず、法に対して加工を加えず、現前がそのままであることです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

無明を破るにはどのようにすべきか

次の記事 次の記事

なぜ異分子を排除することは凡夫の特徴なのか

ページのトップへ戻る