我見を断つと同時に、私の見るものも断たれます。鍵となるのは、意根が五蘊が無我であることを認めるかどうかであり、意識心の認識は意味がなく、真の我見断ちではありません。心の奥底で完全に五蘊が私や私のものであると思わなくなり、六境が私の所有だと思わなくなって初めて可能となります。思惟観行においては、意識心が深く細やかな思惟を経て、それによって意根を導き、意根に道理を理解させなければなりません。意根が道理を理解すれば、自らの思想観念を改め、それによって心身全体が大きく変化します。これ以降、意根は次第に六識の受想行識の機能作用を私や私のものとして執着しなくなり、色蘊を私や私のものとして執着しなくなります。大乗の法を証得した後は、次第に五蘊十八界といった機能作用を真の主人である第八識に返還し、大乗の各関門を一つ一つ突破していくことで、智慧は絶えず深く鋭くなり、心身はますます解脱へと向かうのであります。
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