原文:月実童真が再び仏に言う。世尊よ。死の時には、どのように識が身を捨てるのでしょうか。どのように識が身を移るのでしょうか。どのように識は知るのでしょうか。今この身を捨てると。仏は月実に告げた。衆生は業に随って報いを得る。識の流れは相続し、身を持ち続けて絶えることがない。期限が満ちて報いが終わると、識は身を棄て捨て、業に随って移り受ける。譬えば水と乳を和して煎じ、火の熱力をもってすれば、乳と水と油分は各々分散する。かくの如く月実よ、衆生の命が尽きると、業力によって散じ、形骸と識、及び諸入界は各々分散する。識は依る所となり、法界を取り、及び法界の念と並びに善悪の業をもって、他の報いに移り受ける。
解釈:月実童真が仏に申し上げる。世尊よ、衆生が臨終の時、阿頼耶識はどのように色身を捨てるのか、阿頼耶識はどのように色身を離れるのか、阿頼耶識はどのように今色身を捨てるべきと知るのか。
阿頼耶識が何に基づいて今色身を捨てるべきと知るかは、必ず業種を了知し、業種に依って離身を決めるのである。阿頼耶識は業種に依って顕現し色身を執持する。業種上にある時刻まで四大種子を輸送して色身の存在を維持すべきでないと示されると、阿頼耶識はどの一分で色身が消失すべきかを知り、四大を回収して出力を止めるべきと判断する。その時点に至れば、色身は四大分解し、六塵は正常に顕現できず、六識はもはや正常に六塵を了別できなくなり、六識は次第に消失し、意根と如来蔵は身を離れる。
仏は月実に告げる。衆生はその善悪業に随って果報を受ける。阿頼耶識が色身上で種子流注が相続して絶えず、初めて色身の存在と運行を持続できる。寿命が終了するに至って、阿頼耶識は初めて色身を捨てることを決め、衆生の善悪業に随って来世の色身に遷流する。
譬えば水と乳が和合して一処にあり、火で加熱すれば、乳は浮き上がり、水は下に沈み、水と乳は各々分散する。衆生の命もまた如是であり、業縁の故に、衆生の命が尽きる時、五陰が散壊し、色身と識心が分かれ、六根と六塵も全て分離する。
阿頼耶識は衆生の生命の依る所であり、それが元の色身を捨て離れた後、五陰の種子は再び阿頼耶識に戻る。四大種子、識種子は全て阿頼耶識に戻る。因縁が具足すると、阿頼耶識は意根の念力に随い、及び善悪業種に随って、来世の五陰身に遷り、再び種子を出力し、来世の五陰身を形成し、六根六識六塵が再び全て出現する。
ここでの識流とは、第一に阿頼耶識自体の識種子が刹那刹那流注し、阿頼耶識が断絶せず滅することなく運作し続けることを指す。第二に阿頼耶識が七識の識種子を流注し、七識を持続的に運行させ、五陰身の生命活動を保証することを指す。阿頼耶識は絶え間なく我々の色身を執持し続け、色身の生命活動を相続して絶えさせない。この一期の生命が終了すると、一期の果報も終了し、阿頼耶識はこの色身を捨てるのである。
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