楞伽経原文:大慧よ。戒禁取とは何か。須陀洹は戒を取らず。生を受ける処の苦相を善く見るが故に、是の故に取らざるなり。大慧よ。取とは凡夫を謂う。決めて苦行を受けて習い、衆具の楽の為に、故に生を受けることを求む。彼は則ち取らず。回向して自覚の勝れたりに趣き、妄想を離れ、無漏の法相を行じ方便として、戒支を受持するを除く。是を須陀洹の戒禁取相を断ずると名づく。
釈:仏は説かれた、大慧よ、戒禁取とはどういう意味か。須陀洹の人は非戒を取らず、解脱を得られぬ戒を持たない。須陀洹は理にかなわぬ戒を持つ苦報・苦果の相をよく観察し、生死を解脱できないことを知るが故に、非戒を取らず理にかなわぬ戒を持たないのである。大慧よ、解脱できない非仏制定の戒を執取する者は愚かな凡夫であり、彼らは必ず苦行を受け苦行を行い、その目的は世間の諸楽を得るためであるから、再び生を受けることになる。
しかし須陀洹の人は非戒を執取せず、成仏の道に趣くために回心し、自ら既に妄想見を離れ、心の煩悩を断じて無漏に達し、衆生を摂受する方便として、縁に随って外道の非戒相を持つことを示現する場合を除く。これが須陀洹が戒禁取を断じたことを示すのである。
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