衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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日常法話

2019年04月15日    月曜日     第1開示 合計1429開示

金剛経唯識深義(九十)

原文:若有人能受持读诵。广为人说。如来悉知是人。悉见是人。皆得成就不可量。不可称。无有边。不可思议功德。如是人等。则为荷担如来阿耨多罗三藐三菩提。何以故。须菩提。若乐小法者。著我见人见众生见寿者见。则于此经。不能听受读诵。为人解说。须菩提。在在处处。若有此经。一切世间天人阿修罗。所应供养。当知此处。则为是塔。皆应恭敬。作礼围绕。以诸华香而散其处。

解釈:もし人がいて、金剛般若波羅蜜経を受持し読誦し、広く衆生のために如来蔵の実相の義理を説き開示することができるなら、この人の持つすべての善根と福徳、すべての智慧と功徳、そして衆生のために為したすべての事業は、如来はことごとく悉知悉見され、見落としも漏れもなく、隠されることもありません。如来はことごとく悉知悉見されるので、この人の為すすべては功不唐捐(くふとうけん)であり、少しも埋没されることはありません。この人は将来、不可量・不可称・無有辺・不可思議の功徳を成就することになるのです。

なぜこの人が金剛経を受持し読誦する功徳、衆生のために為したすべての功徳が、如来に悉知悉見されるのでしょうか。この如来とは、一つは色身如来を指し、一つは法身仏 (dharma-kāya-buddha) を指します。色身如来は、無量の神通徳能を有するので、仏眼をもって観ずるがゆえに、この人が金剛経を受持し読誦するすべての功徳を悉知悉見され、この人が無量の衆生を度化するすべての功徳と福徳を悉知悉見され、一つとして漏れることはありません。仏は無量智を有し、一切種智 (sarvākārajñatā) を有し、世出世間において知らぬ法は一つもなく、見ぬ法は一つもなく、大千を円満に照らし、一つとして漏れることがないからです。

また法身仏 (dharma-kāya-buddha) は、常に随所にこの人に随伴しているので、この人の為すすべてには、必ず法身仏 (dharma-kāya-buddha) の照応と護持があります。法身仏 (dharma-kāya-buddha) とはこの人の如来蔵 (tathāgatagarbha) であり、如来蔵 (tathāgatagarbha) はこの人の心行を了知し、この人に配合してすべての事業を完成させ、また衆生の業種を記録し収蔵するからです。したがって、この人の為すすべてを如来蔵 (tathāgatagarbha) は悉知悉見し、業種もまたすべて収蔵され、将来にはこの人のすべての功徳の果報を実現させ、この人を功不唐捐ならしめ、最後には円満に仏と成ることができるのです。

世尊説:このように金剛般若波羅蜜経を受持し読誦し、かつ衆生のために広く宣説することができる人々は、みな如来の家業を荷担することができ、将来にもまた畢竟して阿耨多羅三藐三菩提を成就することができるのです。なぜこのように言うのでしょうか。なぜこの経は大乗の菩提心を発した者のために説かれ、最上乗を発した人のために説かれるのでしょうか。須菩提、もし人が人天の小法を喜楽するならば、それは必ず我見・人見・衆生見・寿者見を執取 (upādāna) しているのであり、その人は虚妄の五陰 (pañca-skandha) のために人天の小善法を修行し、その目的は五陰 (pañca-skandha) を天に昇らせて享楽させ、富貴栄華の果報 (vipāka) を享受させることにあります。その人は「我」があって享楽できること、「人」があって布施 (dāna) を受け入れること、「福」があって獲得できることを見るのです。

そうすると、その人は如来の所説を信受することができず、金剛経の中で説かれている我相なし・人相なし・衆生相なし・寿者相なしという真実の法を信受することができず、四相を離れた金剛実相心が真実の我であることを信受することができません。その人は金剛経を読誦することなく、まして実相の如来蔵 (tathāgatagarbha) を証悟することはなく、まして他の衆生のために大乗の実相の法を演説することはありません。また自我の解脱を楽着する小乗の人は、内心においてもやはり四相に執着し、自我の五陰 (pañca-skandha) があると錯見するために、自らの五陰 (pañca-skandha) の自我が再び苦しみ輪廻することを恐れ、急いで涅槃に入り、三界の生死を出離して、大乗菩薩の法の修学に回心することを肯んじません。したがって彼らもまたこの経を聴受し読誦しに来ることはなく、当然さらにはこの経を人のために解説することなどできるはずがありません。

——生如法師の開示
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