全ての法は第八識によって現れるものであり、全ては空である。六七識がこの真理を証得していない時、これはただ猜想と假设であり、真実に証得していない場合、理は理、あなたはあなた、空は空、あなたはあなた、二者には関係がない。開悟前の猜想と假设は、永遠に心を空にする做不到。開悟後、第八識と五阴世间を不断に有效観察することで、心は徐々に空になり、煩悩を断除し入地した後、心は大部分空になり、八地菩薩以後には绝大部分空になる。真実に第八識を証得し、徐々に第八識の清浄体性に転依し、転依成功すれば、六七識が識を智に転成し、地上菩薩となり、完全転依成功すれば仏になる。故に第八識の空は六七識の空を代替できず、六七識は修证を経なければ空を認識し証得でき、心が空になり、否则口は空でも心は空ではない、煩悩魔が身を離れない。
六七地が第八識を完全転依成功していない前、第八識が持つ種種清浄体性は六七識もそうであることを代表しない。例えば、第八識は从来戒を持たない、但六七識は第八識のように戒を持たないことはできない。何故なら第八識には無明煩悩がない、永遠に戒を犯すことはない、故に戒を持たない必要がない、彼には心が触犯するものがない。六七識はそうではなく、煩悩染污極重、常に自己の私利のために悪業を造し、戒を持たなければ悪業は休止なく、悪報も休止なく、故に悪趣と六道輪迴苦から離脱できない、解脱を得られない。
再例えば、第八識は定を修しない、但六七識は第八識のように定を修しないことはできない。何故なら第八識は从来心が散乱しない、一切法を攀缘しない、無上の智慧があり、心は常に定中にある、入定も出定もない。六七識はできない、猿猴のように散乱、念念が变异し定止がない、心水は浑浊、真理と真相を見不清、愚痴煩悩重重,故に定を修し自心を降伏し、善思惟する能力を得、真実の智慧解脱を求得。
再例えば、第八識は煩悩を断しない、但六七識は煩悩を断しないことはできない。何故なら第八識には煩悩可断がない、而六七識には無明煩悩極多、断しないなら生死苦海に沈む、出期がない。
第八識と比べるなら、世间の五欲六塵において第八識如何清浄である,六七識も彼のように清浄である;第八識如何無我無私である,六七識も彼のように無我無私である;第八識如何永に休止なく勤劳して衆生に服務する,六七識も学ぶべき;第八識如何一切智慧を具足する,六七識も学ぶべき。只有这样比べることにより早日に仏になる。
但し真実に第八識を証得していない、第八識と比べることができない、想象の第八識体性は自己の真実所缘になれず、自心を改变できない。故に菩薩六度を修行し続け、实证を期する必要がある。
3
+1