衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年10月11日    木曜日     第2開示 合計905開示

分段生死 (pariccheda-maraṇa) 和変易生死 (parināma-maraṇa)

初地に証入していない人を凡夫異生と呼び、初地を証得した者は聖人であり、異生性を滅除して、もはや生死の悪業を造作しない。生死の染污業種を断していない衆生はすべて異生に属し、この一段の寿命が終わった後また次の一段の生命があり、ただ異なる時間、異なる場所に生れ、天上であるか、あるいは人間、地獄、餓鬼であるか、これを異時異地而生と呼ぶ。初地菩薩と凡夫異生はいずれも分段生死がある。たとえば人は一世に百八十年、あるいは千八百年生き、寿命が終われば次の一世があり、生死が分段しているので、これを分段生死と呼ぶ。初地菩薩が天界に投生すれば、寿命は極めて長い。人間に投生すれば、寿命は凡夫衆生と同じく、やはり分段生死がある。願力によって畜生道に投生すれば、寿命も畜生のように短く、やはり分段生死がある。分段生死のほかに変易生死がある。変易生死とは寿命が極めて長いが、如来蔵心の中にまだ生死の染污種子がすべて滅除されておらず、なお生死の業を感得することができ、生死の仮相を永遠に滅除できず、心中の生滅種子は仏地に至る前には断除できないため、変易生死があるのである。

——生如法師の開示
前へ前へ

邪見(mithyā-dṛṣṭi)の断除

次へ 次へ

前念已断后念未生、中間の状態は何か

ページトップへ戻る