衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年09月10日    木曜日     第1開示 合計4834開示

別境心所法は常にあらゆる処で現行することはできない

第七識の五別境心所法は、欲・勝解 (adhimokṣa)・念・定 (じょう)・慧の五つの心所法を含みます。第七識は無明のために、この五つの心所法のうちの定 (じょう)・慧と勝解 (adhimokṣa) が常にあらゆるところで現前して働くことができず、個別の時にしか現前して働くことができません。無明のために第七識は時として禅定 (dhyāna) を持たず、無明のために第七識は時として智慧を持たず、無明のために第七識は時として法義を勝解 (adhimokṣa) することができません。もし無明が滅除され、第七識を遮障しなければ、第七識は常にあらゆるところで禅定 (dhyāna) の中にいることができ、たとえば八地以上の菩薩や諸仏はまさにそのようなものであり、常にあらゆるところに智慧があり、常にあらゆるところで法義を勝解 (adhimokṣa) することができます。たとえば諸仏がそうです。

一方、諸仏の本尊仏である真如無垢識 (amala-vijñāna) は、常にあらゆるところで禅定 (dhyāna) の中にあり、常に大智慧があり、常に一切法を勝解 (adhimokṣa) することができ、無明がありません。衆生の第八識も同様ですが、第七識の定 (じょう)・慧と勝解 (adhimokṣa) の内容とは区別があります。第七識は四聖諦において定 (じょう)・慧と勝解 (adhimokṣa) を持ちますが、第八識が勝解 (adhimokṣa) するのは世俗法ではなく、その定 (じょう) も世俗の定 (じょう) ではなく、その慧はましてや世俗の慧ではありません。

意根の念と欲の心所が眼識の出生を促す

坐禅三昧経原文:云何心。是心无常。从因缘生故。生灭不住。相似生故。但颠倒故。谓是为一。本无今有。已有还无。是故无常。观知心空。云何为空。从因缘生。有眼有色可见。忆念欲见。如是等和合。眼识生。

釈義:識心とは何でしょうか。これらの識心は無常法であり、さまざまな因縁によって出生したものです。出生した後、絶えず生滅変異してとどまることがなく、識心が出生したように見えますが、これが六識心です。衆生の心(意根)が顛倒しているために、六識心は恒常不変のものであると考えるのです。実はこれらの識心は本来存在せず、いま初めて出生したものであり、出生した後にはまた滅していきます。それゆえ無常であると言うのです。

これらの心を観察すると、いずれも空であり、因縁の和合によって生じたものであることがわかります。たとえば眼識の出生には、一つの条件として眼根があり、一つの条件として色塵があり、一つの条件として憶念があり、一つの条件として見たいという欲がなければなりません。これらの因縁の条件が和合して、はじめて眼識が生じることができるのです。意識の出生もまた同様です。

すると問題が生じます。1、どの識が憶念することによって、眼識の出生があるのでしょうか。2、どの識が色を見たいと欲することによって、眼識の出生があるのでしょうか。意根の憶念性と見たいと欲する性が眼識を引き起こして色を見させるのであって、意識の憶念性と見たいと欲する性によって眼識が出生するのではありません。なぜならこの時にはまだ意識が現れておらず、たとえ意識があったとしても、意識の憶念と色を見たいという欲によって眼識が出生したのではないからです。それゆえ意根には必ず念心所がなければならず、必ず欲心所がなければなりません。眼識が色を見るのは、意識に駆使されるのではなく、必ず意根に駆使されるのです。一切法はすべて意根に駆使されて出生します。したがって意根には必ず憶念性・念性と欲心所があり、こうして初めて万法が世間において運行することができるのです。


——生如法師の開示
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意根は重大な法塵のみを了別することはあり得ない

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