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日常法話

2026年05月30日    土曜日     第1開示 合計4727開示

金剛経講解.法界通化分第十九

原文:须菩提。于意云何。若有人满三千大千世界七宝。以用布施。是人以是因缘。得福多不。如是。世尊。此人以是因缘。得福甚多。须菩提。若福德有实。如来不说得福德多。以福德无故。如来说得福德多。

解釈:須菩提よ、このようなことについてあなたはどう思うか。もし誰かが三千大千世界に満ちる七宝をことごとく取り出して布施したなら、この人はこのような布施の因縁によって、得られる福徳は多いであろうか。須菩提は答えて言う。多いです、世尊。この人はこのような布施を因と縁として、将来の果報として得る福徳は極めて多いでしょう。世尊は須菩提にこう言われた。もし衆生が得る福徳に真実性があるなら、私はその人が得る福徳が非常に多いとは言わないであろう。福徳には真実性がなく、実質がなく、自体性がないからこそ、私はこの人が三千大千世界の七宝を布施して得る福徳は非常に多いと言うのである。

なぜ世尊は福徳に真実性がないと言われたのか。世尊の言葉を借りて言えば、いわゆる福徳とは、すなわち福徳に非ず、是を福徳と名づく。福徳は世俗法に属し、自性がなく、ただ一つの名前にすぎない。福徳がどのような形で現れるのかを見てみよう。布施によって福を得るのであり、布施には財布施、法布施、無畏布施が含まれる。財は物に属し、色法であり、無畏布施は心法に属し、意識心の精神世界であり、六塵境界の外に出るものではない。衆生が布施して福を修する時、五蘊身が自分の所有する色声香味触法の六塵を相手の五蘊身に布施して受用させるのである。そして色声香味触法の六塵は世俗法に属し、世俗法を布施すれば、その果報も世俗法の報いを得ることになる。これがいわゆる福徳である。

では、世俗法の報いとは、結局のところ三界世間における財色名食睡、色声香味触にすぎない。具体的には、名声、権力、地位、眷属、財産、色身の受用、健康、長寿など、これらの世俗法の福徳として現れる。これらの世俗法は、一つには享受し終えれば福徳は消えてしまい、少し享受すれば少し消えて、最終的にはすべて享受し終えれば、福徳はすっかり消え去ってしまう。したがって世俗の福徳には受用し尽くす時があるのであり、衆生が所有し受用する福徳は生滅性のものであり、真実のものではない。真実のものは永遠に受用し尽くすことがない。仏の福徳が永遠に受用し尽くすことがないのは、それが単に世俗世間の中の福徳ではないからである。

世俗法における福徳の非真実性について、さらに別の側面から言えば、すべての福徳は因縁所生の法である。布施は福の果を得る因であり、しかもこのいわゆる因の中には、主として如来蔵の真の因が存在している。布施を因とする時に、如来蔵は五蘊身を現起させて具体的に布施の行為造作を実行すると同時に、如来蔵は布施の業種を収蔵する。その後、如来蔵はさらに様々な縁に依拠する。たとえば、この人が財を得るには財を得る縁が現前しなければならず、権勢を得るには権勢を得る縁が現前しなければならず、眷属を得るには眷属を得る縁が現前しなければならず、長寿を得るには長寿を得る縁が現前しなければならず、名声を得るには名声を得る縁が現前しなければならない。このように縁が具足して現起する時に、如来蔵が業種を出力すれば、この人は相応の福徳の果報を得ることになる。

これらの果報もまた、如来蔵が配合して現起させた五蘊身によって得られ、五蘊身が受用するのである。一つ一つの微細な段階すべてに如来蔵の協力があり、すべて如来蔵が幻化したものであり、一つ一つの段階がすべて虚妄で真実ではない。それなら総体として言えば、布施のすべての行為、福徳を得るすべての過程、これらの因と果は、すべて如来蔵が幻化し現起したものであり、したがってすべてが虚妄であり、真実ではない。まさにこのことによって、仏は衆生が福を修し布施して得る福徳は多いと言われたのである。虚妄法にこそ多い・少ないという数量の説があるのであり、実相法の中には、数量がなく、多少がなく、大小がなく、長短がなく、方円がない……。これらの福徳は表面には有るように見えるが、その有は仮有にすぎず、人の目を欺くだけである。その実質はすべて如来蔵なのである。

では、法布施によって得る福徳には、実があるのか。福徳性なのか。受用し尽くすことができるのか。法布施はどのような福徳を得るのか。法布施によって得る福徳には二つの面がある。一つは世俗法の中の福徳を得ることであり、殊勝な色声香味触法を得ることである。もう一つは出世間法の福徳を得ることである。そして出世間法の福徳は、絶えず積み重ねられて仏に至るまで続き、福徳は永遠に消えることなく、受用し尽くすこともない。法布施によって、出世間の智慧を得ることができ、出世間の如来蔵の実相法を証得することができ、それによって智慧が絶えず増進し、地地に増上し、究極的には菩提の果を円満することができる。したがって、法布施によって得る福徳には、大きな部分において福徳性があり、真実性があり、三千大千世界の七宝布施よりはるかに殊勝なのである。


——生如法師の開示
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