欲界の天人同士のコミュニケーションは、人間のような言語文字や音声を用いず、すべて心念によって行われます。なぜなら天人はみな他心通を持っており、他人の心意を素早く明瞭に知ることができるからです。天人の心念が生じると、ジッという音とともに極めて速く伝達が完了し、同時に顔の表情がそれに伴い、話す必要はなく、口は役に立ちません。表現する際には、強い電磁波のうねりが生じ、相手はその電磁波の音を聞き、顔の表情を見ることで、直ちに相手の心意や考えを知るのです。心念が一動すれば電磁波がうねり、エネルギーが放出され、信号が相手に受信されます。電磁波のエネルギーは意根から発せられるものであり、意根に心念・心意が生じたということです。これは人間が話をしたのに相当します。意識にはエネルギー波がなく、身体の中のエネルギーの流れを動かすこともできません。
天人は電磁波を受信して相手の心意や考えを明らかにしますが、まず意根が受信して明らかにし、続いて意識が明らかにします。天人は電磁波の発信と受信によって互いに交流します。他心通を持つ衆生、すなわち色界・無色界の天人、さらには諸仏菩薩もまた、この方式によって互いに交流し、考えを伝え合うのであって、意識の言語文字の機能を用いることはありません。多くの天人が集まって問題を議論する際も、すべて心念を用い、眼の表情や顔の表情を見ます。相手への応答も同様で、話し声はなく、文字を書いて書面で表現することもありません。それゆえ彼らには文学作品がなく、書物もなく、言語文字の芸術や規則を学ぶ必要もなく、人間のような煩わしさや虚栄心はありません。
意根は一念の間に、自分のすべての考えを素早く表現し尽くすことができ、その内包は非常に豊かであり得ます。意識では長編の大論を述べても表現しきれないかもしれません。意根による交流がいかに時間と精力の節約になるかが分かります。非常に智慧のある人が自分の考えや構想を表現しようとするとき、しばしば大いに悩みます。意根の心の中には智慧の結晶がさらさらと流れており、非常に多く、非常に深く、内包が非常に豊かで、それを発表して他の人に知らせ学ばせたいのですが、それが非常に骨の折れる作業であり、時には苦心惨憺し、綿密に構想を練り、さらに語句を選び、文章や用語を吟味し、言語構造を配置し、表現の方式や方法を工夫しなければならず、頭脳と精力を大いに費やし、しかも非常に遅いのです。
もし人間の脳にチップを設置し、脳の意根の中の考えや思考の流れを迅速に文字に変換できるなら、それは大脳の巨大な革命となり、その成果は驚くべきものになるでしょう。創造力のある科学の巨匠が最大の受益者となり、その智慧が絶え間なく出力され、人類社会に利益をもたらすでしょう。そうなれば、今度こそ、脳の中の心念・考え・智慧は意識のものだと愚かにも考える人はいなくなるのではないでしょうか。意識の智慧なら、言語文字や音声で直接表現できるのであり、こんなに大げさな手間は必要ないのですから。
智慧のある人ほど意根を多く用い、意識を少なく用います。より上位の階層の衆生ほど意根を多く用い、意識を少なく用い、ひいては八地菩薩に修到すれば、意根が直接六識の代わりを務めることができ、意識は省略できるのです。諸仏菩薩はみな直接意根を起用され、六識は簡略化できるなら簡略化され、五倶意識はまだ多少用いることがありますが、独頭意識はほとんど用いられません。なぜなら諸仏菩薩の智慧はすべて現量であり、独頭意識の思惟・分析・推理・判断を用いる必要がないからです。
高度な生命体がみな意根で交流するのだとすれば、人間の意識が用いる文字・言語・音声などは何ほどのものでしょうか。それは単なる補助的な道具にすぎず、あってもなくてもよく、それほど重要ではありません。ところが人間は自分で文字・言語・音声を非常に重く見ており、各種の言語芸術、表現の技巧、文字や語彙の運用と堆積、音声の訓練など、これらの意識的なものを生存のための腕前と見なしていますが、他の道へ行ってしまえば、これらの腕前は用いる場がなくなります。天道の衆生が意根を重用するだけでなく、三悪道の衆生もまた主に意根に依拠して交流し心意を表現しており、言語文字を用いて遠回しに物を言うのは人間だけなのです。
それゆえ意根の機能は非常に強大であり、勝解心所法を有し、欲心所法も有し、自分の考えを持ち、表現・交流の欲求もあり、享楽の欲求もあります。それならば意根には五別境心所法があるのであって、古唯識の言うように、弱々しい可哀想な慧心所法が一つだけあるのではありません。もし意根に弱々しい慧心所法が一つしかないなら、何ができるというのでしょうか。ほとんど何もできず、まして仏法を学んで修行することなどできません。学仏の欲求や考えがなく、修行の心念がなければ、学仏の動力はなく、仏法を勝解することもできず、仏法は心に入らないのですから、どうして見道の智慧があり得るでしょうか。学仏は何一つ成し遂げないものになってしまうのではないでしょうか。
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