衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年04月13日    月曜日     第1開示 合計4680開示

身空の粗浅な体験(2025-04-26)

如春:今朝座についた途端、体全体が鉄の箱のように硬くなっているのを感じました。呼吸だけがその中の通路を行き来しています。夜、座禅を下りた後、しびれた足をほぐし、とてもリラックスした姿勢で横になり、自分自身に問いかけました。意根さん、あなた様にとって呼吸とは何ですか、身体とは何ですか?と。すると頭の中に一言が浮かびました。何でもない、何もない、と。

続いて呼吸の観察を始めました。観ているうちに少し眠気がさしてきたようで、半睡半醒の状態になり、徐々にこの部屋がどんどん高く、どんどん大きく感じられ、自分の全身が非常に広々とした空間の中にいるかのようでした。さらにゆっくりと、自分の身体が少しずつ、一層一層と消えていくのを感じました。やがて自分が階下の庭園に漂っていくのが見えるような感覚になり、身体はなく、身体は影のようであり、また何も存在していないかのようで、虚空のようであり、また隠身術のようでもありました。どう表現したらよいのか分かりませんが、このふわふわした軽い感覚はかなりはっきりとしたものでした。

評点:これは主に禅定の境界であり、気脈が身体の中を巡っている表れです。禅定だけであればこうした現象は現れず、観行 (vipaśyanā-caryā) の智慧も加わり、定と慧が結びついて互いに増進し合ってこそ、これらの境界が現れるのです。境界の中には心の認知の智慧も示されており、境界は心を表しています。心がどのように認知するかによって、そのような境界が現れるのです。心がますます空になり、身体もますます空になっていきました。心が身体は空であると認知すれば、これらの境界が現れるのです。心は万物を転じることができ、身体を転じることもできます。身体に執着すれば身体はあり、身体を空と観じれば身体は無いのです。有と無は、心の観念のいかんにかかっています。

この境界は、あなたが現在身体を空と観じていることを示しており、ほぼ初果須陀洹に向かう段階に達しており、初果須陀洹まで遠くありません。


——生如法師の開示
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