原文:さらに。須菩提よ。この経を説くところに随い、すなわち四句偈等に至るまで、当に知るべし、此の処は、一切の世間の天・人・阿修羅は、皆な応に供養すべし、仏塔廟の如くになお。況んや人有って、尽く能く受持し読誦することを。須菩提よ。当に知るべし、是の人は、最上第一希有の法を成就せりと。もし是の経典の在る所の処は、即ち仏有りと為す。若し尊重の弟子の如くに。
釈:さらに、須菩提よ、凡そ金剛経を講ずる所、すなわち金剛経中の四句偈子等に至るまで、応に知るべし、これらの処は、一切の世間の天・人・阿修羅は皆な来たりて供養すべく、仏の塔廟を供養するが如くになお。況んや人有って完全に能く受持して金剛経を読誦することを。須菩提よ、応に知るべし、この人は既に最上第一希有の法を成就せりと。もしこの経典の在る所の処は、即ち仏有りと為し、応に仏の弟子を尊重するが如くに、この経典を尊重すべし。
何故に仏は、何処に在るとも、金剛経及び経中の四句偈子を説く処有らば、応に供養すべく、しかも仏塔の如く供養すべきと説くのか。この言葉は仏法の大秘密、甚深の密義を含む。もし如実に解答し明らかにせば、この秘密を破るに至らん。然らば後果は深刻なり。ここに於いては唯だ軽く描き淡く叙述するのみで、深く説くことは出来ず。仏法の中に言う:万法は唯心に現れ、唯識に変わる。心無くしては事成らず、事を成す心は唯一ならず。真妄和合し、皆な参与す。その中、第一能変識は第八識、この金剛心なり。これ万法を生ずる主体識なり。法種は直接にこれより輸出され、これには触・作意・受・想・思の五つの遍行心所法あり。種子に接触し、心は種子に専注し、種子を領受し、種子を了別し、然る後に種子を輸出し、種子に相応する法を変現す。
第二能変識は意根なり。これまず種子に縁り、心を起こして業行を造らんとす。但し自らは具体的に何事をも為し得ず、第三能変識たる意識心に自らの意図打算に従い具体的に執行せしむるを要す。第八識は知りて後、意根と意識に配合し、為さんとする事を完成せしむ。故に金剛経及び四句偈子を講説し読誦する処には、金剛心――この尊仏の出現有り。然らば応に供養すべし。供養は金剛心を供養するなり。而して五蘊身は仏塔の如く、其の中に金剛心――仏の住持する在り。故に金剛経を講説する処を供養するは、仏塔を供養するが如くなり。もし人有って能く完全に受持し金剛経を読誦するならば、尚更に供養すべし。
如何なるを完全に金剛経を受持するとなすか。即ち既に金剛心を証得せる人なり。この人は金剛心の全体全貌をことごとく了知し、金剛心が如何にして五陰十八界及び大千世界を生ずるかを既に了知し、金剛心中に含蔵する各種の功能種子をも了知せり。この時に至っては既に地上の菩薩なり。当然尚更に供養すべし。金剛心を証得せざる人は、能く完全に金剛心を受持読誦すること能わず。彼の金剛心の体性に対するは模糊として明らかならず、何ぞ能く完全に受持せんや!
仏は須菩提に告げたまう:この金剛心を証得せる人にして、且つ唯識種智を有する人は、既に最上の第一希有の法を成就せりと。修行してこの程度に到達せる人は、当然甚だ希有なり。一大千世界にも多くは無し。一つの三千大千世界は一つのピラミッドの如し。塔尖に在るは仏にして、唯一尊のみ、第二第三無し。仏の左膀右臂は等覚菩薩、下れば十地・九地より初地菩薩に至り、直ちに剛く開悟したる第七住位菩薩に至る。下れば下るほど多く、上れば上るほど少なし。剛く仏法に接触する人は極めて大多数なり。仏法に接触せざる人は尚更に多く、三悪道中の衆生は計算すべからず。無量の学仏人が発心修行すれども、開悟に修まるは極めて少なく、入地の菩薩は甚だ稀少なり。故に能く完全に金剛経を受持読誦する人は尚更に供養すべく、その福は極めて大なり。
仏は説きたまう:もし何れの処に金剛経有らば、何れの処に仏在りと。金剛経は即ち金剛心なり。金剛心は即ち仏なり。而してこの金剛経の形成と宣説は、皆な金剛心を離れず、尚お仏在り。皆な金剛心の形成し顕現せしむる所なり。然らば応に仏の弟子を尊重するが如くに、この金剛経を尊重すべし。
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