衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年11月13日    木曜日     第1開示 合計4524開示

受五戒と不受五戒の悪業果報にはどのような違いがあるのか?

悪業を造るのはすべて悪しい心、煩悩の心があるためであり、いずれも心性が良くないことに起因するので、すべて性罪があります。性罪の果報は、受戒したかどうかにかかわらず同じです。衆生は皆貪瞋痴の性障 (kleśāvaraṇa)・煩悩を有しているので、衆生はみな六道輪回の中で悪報を受けており、とりわけ三悪道の衆生が極めて大多数を占めています。受戒していない人が悪業を造っても、それは犯戒には当たらず、戒罪はなく、性罪の罪報のみを受け、戒罪の罪報は受けません。受戒した人が悪業を造ると、性罪の罪報を受けるほかに、さらに戒罪の罪報も受けなければなりません。

たとえば、ある人が五戒を受けていなくても、人を殺した後にはやはり地獄に堕ちて悪報を償わなければならず、地獄から出て再びその殺された人に会えば、さらに殺された者の命を一つ償わなければなりません。畜生を殺す場合も同様で、いずれも殺生の罪があり、報いを受け、命を償う必要があります。その他の悪業を造る場合も同様で、受けるべき悪報があればそれを受けるのです。一方、受戒した人が同じように悪業を造ると、戒罪の罪報が一つ加わります。なぜなら、知りながら故意に犯すこと自体が戒律を尊重しないことであり、それゆえに罪があるからです。知りながら故意に犯す場合は、知らずに犯す場合よりも煩悩がさらに重いので、果報もいくらか重くなります。善業を造る場合も同様で、五戒を受けていない人でも、身口意行が五戒に従い、心性が善であれば、善報を受け、福を得て楽しみ、しかも利益を与えた衆生もまた、それに応じた利益を彼に報いてくれます。受戒した人が善を行うと、さらに持戒によって得る善報が加わり、たとえば人身を得る、天に生まれて福を享けるなどです。

——生如法師の開示
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五戒を守ることは人として学ぶことである

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犯戒か否かを判定する根本は用心を見ることにある

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