ある国が侵略者に襲撃され、焼き払い、殺戮し、略奪するなどあらゆる悪事を働きました。人々は皆、侵略者の残忍で冷酷な行為を憎んでいます。しかし、自分自身もかつては残酷で毒辣な者であったことを忘れ、ただ現在のことだけを見て、これが因縁果報であることに気づいていません。魚の腹を裂いていた者たちが今、自ら腸を引き裂かれる身となり、怨み怒っていますが、当時の自分も魚の苦しみを顧みず、同様に残忍ではなかったでしょうか。今日でさえ、食の楽しみのために、このような悪行は止んでいません。多くの仏教徒は自身は肉食をしなくても、家族が食べるために魚や肉を買わざるを得ず、生きたままの生き物を購入しては殺し、腹を裂くことで、悪業は依然として続いています。仏法を学び修行していても、悪行とその報いは決して途絶えることがありません。
私の母に仏友がおり、二十年、三十年と念仏を唱えていましたが、最期は病に伏せていました。子供の頃に蟻の巣を壊したことがあり、その時殺された蟻たちはまだ転生しておらず、中陰の身となって彼女の体に群がり、身体を侵し、彼女の心身を自由にさせませんでした。何十年も菜食を続けていたのに、その時は肉食をし、仏を信じず念仏も唱えなくなりました。地元の寺院が彼女のために回向をしようとすると、激怒して拒み、結局亡くなりました。間違いなく三悪道で苦しむことになったでしょう。母の世代の仏教徒、念仏者は数多くいましたが、晩年には多くの人が病に苦しみ、業障に阻まれて修行を続けられず、結局は三悪道から逃れられませんでした。
皆様、自分がまだ若く、健康で、何の障害もないように思ってはいけません。真の大きな業障が訪れた時には、全く抵抗する力もなく、瞬時に倒れ、自分を制御できなくなり、仏すら信じられなくなるのです。ましてや仏法を学ぶことなどおろか、臨終には怨親債主に導かれて三悪道へ落ち、親族や仏友も全く手の施しようがありません。ですから、健康なうちに急いで悪業を懺悔しましょう。今生だけでなく前世のあらゆる悪業も懺悔します。前世のことは覚えていなくても、あらゆる悪業を犯したと想定します。懺悔の後には業障が幾分軽減され、臨終の際に悪業に阻まれて仏や三宝すら信じられなくなる事態は避けられるでしょう。殺生の業が多いなら、定期的に懺悔し、春が過ぎたら機会を見つけて放生を行い、罪過を幾らか償い、罪業を少しでも消滅させましょう。
悪業の深刻さについて言えば、どれほど多くの衆生を殺しても、三宝を誹謗する罪業には及びません。三宝を誹謗し、軽んじる罪業は計り知れず、殺生の報いを受けた後はまだ三宝の救いに遇う機会がありますが、三宝を誹謗・軽んじた者は長劫にわたりその機会に遇えません。悪業を犯した後、なおも得意げにしている者もいますが、これはなんと愚かなことでしょうか。
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