増一阿含経第十六巻高幢品の原文:阿羅漢の如く、恒に高広の床上に坐せず。所謂る高広の床とは、金銀象牙の床、或いは角の床、仏座、辟支仏座、阿羅漢座、諸尊師座なり。是の時、阿羅漢は此の八種の座に在らず。我も亦た上坐して此の坐を犯さず。
釈:阿羅漢のように、永遠に高大で広々とした寝台に座らない。所謂る高広大床とは、金銀や象牙で作られた貴重な寝台、あるいは動物の角で作られた寝台、または仏が座す座、辟支仏が座す座、阿羅漢が座す座、諸尊師が座す座を指す。阿羅漢はこれら八種の寝台に座らず、私もこれらの寝台に座らない。
何故これらの寝台に座ってはならないのか。第一に、自身の身分が高貴尊厳ではないため、座るのは時宜に適わず、身分に不相応で、分を越える行為となる。第二に、自身の慢心を増長させる。第三に、自身の福徳を消耗損耗させる。日常生活の他の面でも、常にこのように考え、分を越えず、無益に自身の福徳を消耗せず、慢心を増長させず、何事を行うにも適切に、自身の身分、境遇、福報に相応しくすべきである。
高広大床は、主として寝台の座の貴重さや豪華さを指し、寝台の座の寸法の大小を指すのではない。貴重豪華な場所に座ることは、自身に享受を追求し、富貴を求める貪欲の心があることを表し、我見や我慢を生じさせ、修道に不利である。聖人の座る座も高広大床に属し、聖人の尊厳を示す。これらの寝台の座がどれほど簡素であろうと、凡夫は座るべきではなく、自身の身分に相応しくなく、慢心を増長させ、これもまた聖人への不敬となる。在家信者は出家者の寝台の座に対しても、随意に座るべきではなく、屋舎に軽々しく入ることも避け、距離感を持つべきである。これは恭敬心と尊重心を表す。常に三宝を恭敬尊重し、四種の聖人を恭敬すれば、無量の福を生じる。反対に、もし恭敬せず尊重しなければ、無量の福を消耗し、福がなければ、どうして修道し成道できようか。
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