一切の法は本来のものと後天的なものに分けられ、無所住の心、平等心、定心、慧心、覚悟の心などが含まれます。本来の無所住の心は真如自性第八識阿頼耶識如来蔵であり、人が何らかの方法で無所住にさせる必要はなく、常に無所住の状態にあり、あらゆる時、あらゆる場所、あらゆる法の運行の中に存在します。
後天的な無所住の心は七識の妄心ですが、七識の妄心が無所住となることは非常に困難であり、禅定のみならず戒律と大智慧を必要とします。七識が如来蔵のように真に完全かつ徹底的に無所住となるのは、成仏後のみです。比較的明白な無所住は八地菩薩の段階に現れ、より早い段階では識を転じて智とする初地菩薩以降に見られます。これ以外の場合、最低でも初禅・二禅以上の境地に至り、禅定によって暫時的に妄動を降伏させ、意根と六識が六塵の境界に住着せず、あるいは少住するようにする必要があります。このような安住は後天的な無所住と呼ぶことができますが、恒常的ではなく、滅却する可能性を有します。
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