衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年05月10日    金曜日     第1開示 合計4171開示

意根の平等性智

第七識は極喜初心の地において平等性智を有する。これは、極喜地の初地心に入る際に、第七識が識を転じて智と為し、一分の平等性智を具えることを意味する。第七識は菩薩の六度を修行し、明心開悟した後に般若智慧を具え、般若智慧が増長して後得智を具え、修道によって初禅を発起し、煩悩を断除し、順次に陽炎の関と夢の如き関を通過し、有余涅槃を証得した後、唯識を熏修し、一分の唯識種智を具え、初地に入る。第六識が初めて識を転じて智と為し、初分の妙観察智を具え、第七識が初めて識を転じて智と為し、初分の平等性智を具える。二つの識は成仏時に三度の識転成智を経て、無明の染汚が断尽し、全てが明に変わり、第八識と五識がそれぞれ大円鏡智と成所作智に変わり、仏道が円満する。

初地の菩薩は異生性を断除し、如来の家に入り、真の仏子となる。これは学仏修道における極めて大きな転換であり、象徴性が極めて強く、内心が極めて喜ばしいため、極喜地と称される。第七識の平等性智は、明心後の三賢位の修道過程において転変され、第八識への転依成功の標識である。第七識は第八識の平等性を証得し、常に一切衆生は果報が異なるものの、その果報を現じる因である第八識は平等であり、故に相も平等であることを観察する。これにより人相・我相・衆生相・寿者相が破られ、一切衆生が実質的に平等であり、最終的には皆成仏することを如実に証得する。第七識心も次第に平等性を具え、煩悩を断除して識を転じて智と為した後に初地に入る。

故に最初に明心する際には、必ず第七識と第六識が同時に明心しなければ、般若智慧を具えることができ、四相を破ることができ、煩悩を断除することができ、禅宗の三関を通過することができ、陽炎の関と夢の如き関を共に証得することができ、異生性を断除することができ、初地菩薩の一分の唯識種智を証得することができ、一切法の真如性を証得することができ、一分の一真法界を証得することができ、最終的に成仏することができる。

阿羅漢の第七識には平等性智がない。阿羅漢は明心開悟しておらず、般若智と唯識智を具えていないためである。但し、若干の平等性は有しており、その平等性の立脚点は初地菩薩とは異なる。阿羅漢は一切衆生を空かつ無我と見なし、心中の一切煩悩を断除し、四相を破っている。この空の観点から、第七識は一切衆生が平等であると見るが、一切法が平等であることを見ることはできず、一切法が第八識性であり、真如性であり、一真法界であることを知らない。故に平等性智を有しない。

阿羅漢の修道過程全体から見ると、初果から四果に至る法眼浄の智慧は、全て第七識と第六識が同時に証得するものである。そうでなければ煩悩を断除し、有余・無余涅槃に入ることができず、四相を破ることもできない。もし第七識である意根が我見を断ずることができなければ、無明煩悩を断除できず、生死を了することができず、三界の塵労を出ることができず、輪廻を止めることができず、苦を断ずることができず、修道は意味がなくなる。

——生如法師の開示
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