六識の倶有依(くゆえ)は意根であり、意根の倶有依は如来蔵である。如来蔵が直接に意根を出生し保持するからこそ、意根は存在し続け、絶えず運行し続けることができる。如来蔵は直接に一切の法を出生しており、一切の法の倶有依もまた如来蔵である。如来蔵がなければ、一切の法の存在も運行もありえない。しかし如来蔵は意根に依拠しなければならず、そうして初めて一切の法を出生し、如来蔵の運行と行相を顕現させることができる。したがって、意根は如来蔵が諸法を運行するための倶有依であって、如来蔵を出生させる倶有依ではない。なぜなら如来蔵は本来から存在しており、出生を必要とせず、意根も如来蔵を生み出すことはできないからである。
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