作為とは意識が意根を抑圧し、調伏し、制御し、薫染し、牽引し、導き、諫めることです。この段階では意根はまだ薫習されておらず、良好な習慣が形成されていません。やがて意根が薫習に成功し、立派な習慣が養成されると、老いた牛が従順になるように本来の気性が改まり、意識はもはや意根を管理したり抑圧したり調伏したりする必要がなくなります。作為的に何かをすることもなくなり、意根の良好な習慣に随順することができ、規矩を越えることはなくなります。
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