原文:また涅槃に対し深く心に願い楽しみ、速やかに趣入することができ、心に退転がなく、あらゆる怖畏を離れ、摂受増上の意楽適悦を生ずる。かくの如き行者は、諸聖諦において、下忍に摂せられる。能縁と所縁が平等にして、平等智が生ずる。これを暖と名づく。中忍に摂せられる。能縁と所縁が平等にして、平等智が生ずる。これを頂と名づく。上忍に摂せられる。能縁と所縁が平等にして、平等智が生ずる。これを諦順忍と名づく。
解釈:また涅槃を深く心に愛楽し、速やかに趣入することができ、心が退転せず、一切の怖畏を離れ、内心に増上の意楽が生じ、適悦する。このように修行する行者は四聖諦の修習過程において、下忍位に属する。能縁の心と所縁の法が平等であり、平等智が生じたならば、暖位と名づけられ、中忍位に属する。能縁の心と所縁の法が平等であり、平等智が生じたならば、頂と名づけられ、上忍に属する。能縁の心と所縁の法が平等であり、平等智が生じたならば、諦順忍と名づく。
ここでは涅槃に対する安忍を上中下の三品に分け、下品忍は四加行中の暖位に位置し、中品忍は四加行中の頂位に位置し、上忍は諦順忍とも呼ばれ、四加行中の忍位に位置する。暖位にある行者は、心が涅槃に向かい始め、涅槃法の修習に対して心に退転がなくなる。なぜなら涅槃法に対し増上の意楽が生じ、怖畏を離れ、功徳受用を得たためであり、その後一切の修習過程において退転することはなく、ましてや我見を断って初果を得た後は、涅槃の道から退転することはさらにない。四加行位の功徳受用は初果の功徳受用とは非常に異なり、初果と二果、あるいは二果と三果・四果の功徳受用もそれぞれ大きく異なる。ゆえに功徳受用を誤解してはならず、四加行の功徳受用を初果・二果の功徳受用と誤認し、未証言証の大妄語を犯すことがあってはならない。
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