原文:かくの如く行ずる者、能く随順する楽受の諸行及び楽受においては、結縛行によって壊苦に入り、能く随順する苦受の諸行及び苦受においては、不可愛行によって苦苦に入り、能く随順する不苦不楽受の諸行及び不苦不楽受においては、不安隠行によって行苦に入る。このように結縛行・不可愛行・不安隠行の増上力によって、三つの受の中においてこのように説く「すべての受はことごとく苦なり」と。かくの如きを名づけて、無常行による作意を先として苦行に入るという。
解釈:かくの如く瑜伽行者は、能く随順する楽受の諸行及び楽受において、結縛行を観察することによって壊苦行の観察に入り、能く随順する苦受の諸行及び苦受においては、不可愛行を観察することによって苦苦行の観察に入り、能く随順する不苦不楽受の諸行及び不苦不楽受においては、不安隠行を観察することによって行苦の観察に入る。このように結縛行・不可愛行・不安隠行を観察する増上の作意力のゆえに、三種の受の中でこのような結論を得る「すべての受はことごとく苦である」と。これを無常行による作意を始めとして、苦行の観察に先に入るためであるという。
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