衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年07月10日    日曜日     第1 回の開示 合計3654回の開示

四大の微塵と六塵の境界

問:光が目に入り、目の内部の光感受細胞が光源を電気信号に変換した後、電気信号が視神経を通じて大脳皮質の視覚中枢に伝達されます。では、次に何が電気信号を映像に解読するのでしょうか。

答:もし内六塵が電気信号であるなら、外六塵は何でしょうか。電気信号とは何を指すのでしょうか。内外の六塵はどのような形態で現れるのでしょう。我々の六識が見る内六塵は全て四大種子によって形成された微粒子であり、一定のエネルギーを有するため、便宜上電気信号と呼べます。しかし外六塵も同様に四大種子によって形成された微粒子であり、実質的な色法の相状を持たず、同様に一定のエネルギーを有するため、電気信号と呼ぶこともできます。ただし内外の六塵、あるいは電気信号には区別があります。外六塵は如来蔵が四大種子を用いて幻のように形成したものであり、偽りのもの、鏡の外の相のようなものです。内六塵は偽りの上に偽りを重ねたもの、幻の上に幻を重ねたものであり、鏡に映った像のようなものです。

光が勝義根である眼根に入った時、もし意根が縁って分別しようとすれば、眼識と意識が生じ、二者が共同で光の電気信号を分別します。電気信号は色相の形で二つの識心に現れます。どの識が分別するかによって、その識の心に対応する相が現れます。よって六識が塵境を分別する際、解読という事柄は関与しません。もし強いて解読と呼ぶなら、それは四大の微粒子を一定の相状や相貌を持つものと誤認し、相状相貌を実在するものと誤認して執着することを指します。

例えるなら、子供が小さな部品でパズルを組み立て、部品を実物に変えてからその実物に執着し、貪愛して止まないようなものです。四大種子は部品に相当し、六塵境界はパズルに相当します。六識が塵境を識別する時、四大微粒子を六塵境界というパズルに組み立て、その後執着と貪愛を生じさせるのです。まるで子供のごっこ遊びのように幼稚なものです。

この一連の流れを実証すれば、万法皆無となり、ただ空如来蔵一つが残りますが、それすらも執取せず、これが到家であり、成仏です。万法が皆無であるなら、我々は毎日多くの事を為す必要がどこにあるのでしょうか。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。全ての災害ことごとく消退することを。各国人民が団結互助し、慈心をもって相対することを祈願します。風雨順調に、国泰民安なることを。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを。仏教が永遠に栄え、正法が永住し、三界の火宅を極楽の蓮邦に変えることを祈願します。

——生如法師の開示
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