衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年04月18日    月曜日     第1開示 合計3617開示

無明を破り煩悩を断つことが真の修行である

十二因縁における無明・行・識・名色の前四支は、名色の出生が即ち生死輪廻の苦の継続であることを示しており、生死輪転の苦は完全に無明に起因する。無明は愚痴であり、愚痴があると愚痴による業行が生じ、六識に貪・瞋・癡の煩悩を伴う身口意の行いを絶えず造作させ、悪業の種子を残すことで、これより生死の苦が相続して断絶しない。したがって修行とは無明の煩悩を破ることにあり、無明が破られれば智慧を得るのである。

無明と智慧は対立関係にあり、秤の両端が上がったり下がったりするようなものである。ゆえに智慧がある時には煩悩は生じず、悪業や煩悩の業を造作することはない。煩悩が生じている時は、心に無明があることが顕れている。いかなる煩悩の造作も、智慧がなく無明があるために起こり、智慧があればいかなる煩悩の業も造作しない。仮に誰かが煩悩の業を造作し、法にかなわない身口意の行いがあれば、その者は無明が破られておらず、智慧が生起しておらず、生死の苦を断ち切れていないことを示している。

仏法を学んで成就する目印とは、無明を破り、煩悩を断ち、智慧を増すことにある。どれほど理論的知識を学んだかは重要ではない。理論的知識を学ぶ究極の目的は無明を破り、煩悩を断除するためであり、この宗旨から外れた学法は何の意味も持たない。生死の苦を終わらせたいならば、悪を断ち善を修め、善を行って善道に向かい解脱を得るべきである。悪を行えば悪道へ趣き生死の苦を受ける。もし無明が破られず煩悩が断たれなければ、どれほど仏法の知識を学んでも、生死の苦からの解脱には役立たない。したがって多くの理論的知識を掌握することは修行の方向性ではなく、無明を破り煩悩を断ち智慧を増すことが正道なのである。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永久に止み、一切の災難がことごとく消退しますよう。各国の人民が団結し互助い、慈しみの心をもって相対しますよう。風雨順調で五穀豊穣、国は泰安で民は安寧であることを祈願します。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の道を開きますよう。仏教が永く興隆し、正法が永く住んでもらいますよう。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめますよう!

——生如法師の開示
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