十二因縁における無明・行・識・名色の前四支は、名色の出生が即ち生死輪廻の苦の継続であることを示し、生死輪転の苦は完全に無明に起因する。無明は愚痴であり、愚痴があれば愚痴の業行が生じ、六識が絶えず貪瞋痴の煩悩に満ちた身口意の行いを造作し、悪業の種子を蓄積することで、生死の苦が相続して断絶しない。故に修行とは無明煩悩を破砕するものであり、無明を破れば智慧を得るのである。
無明と智慧は対立関係にあり、秤の両端が上下する如く、智慧が存在する時には煩悩は生じず、悪業煩悩業を造作することもない。煩悩が現れる時、心に無明が存在することを示す。いかなる煩悩の造作も無明が存在し智慧を欠くことにより生じ、智慧があればいかなる煩悩業も造作しない。もし人が煩悩業を造作し、法にかなわぬ身口意の行いがあれば、その者は無明を破れず智慧が生起せず、生死の苦を断ち切れないことを証する。
仏法を学んで成就する指標は無明を破り、煩悩を断ち、智慧を増すことにある。理論知識をどれほど学んだかではなく、理論知識を学ぶ最終目的は無明を破り煩悩を断じることにあり、この宗旨を離れれば法を学ぶ意義は失われる。生死の苦を断じるには悪を断ち善を修め、善行によって善道に向かい解脱を得、悪行をなせば悪道に堕ち生死の苦を受ける。無明を破らず煩悩を断たねば、いかに多くの仏法知識を学んでも生死の苦からの解脱には至らず、故に膨大な理論知識の習得は修行の方向性ではなく、無明を破り煩悩を断ち智慧を増すことが正道である。
回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永く止むことを。一切の災害が尽く消退することを。各国の人民が団結して助け合い、慈心をもって相対することを祈る。風雨順調で国泰民安であることを。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根が増長することを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃への道を開くことを。仏教が永く興隆し、正法が永住することを。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦となることを祈願する。
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