問:梁武帝が仏寺を建立し僧侶を供養したが、達磨大師は功徳なしと説かれました。ではそれは福徳となるのでしょうか。いかにすれば功徳が得られるのでしょうか。
答:功徳とは性徳であり、心性に備わる徳能であります。例えば煩悩を降伏させることは功徳、心を無漏に修めることは功徳、智慧を得ることは功徳、戒・定・慧の三者が共に増進し円満に向かうことは功徳、あるいは具足円満し自受用ならしめ、他者をも利益せしめることができることは功徳です。一般的に、功徳は容易に退失せず、仏果成就まで尽きることのない受用であります。これに対し福徳は多くが自受用に留まり、享尽可能で壊滅性を有し、究極的でなく、福徳を以て悪業を造らざる保障もありません。しかるに功徳は心を漸次清浄に転じ、福徳をも増長せしめます。福徳と功徳を同時に得るならば、福徳は牢固となり絶えず増大します。
とはいえ、福徳も修めねばなりません。福徳が不足すれば功徳も現れ難く、両者は相補関係にあります。ただし修した福徳は世間法の享受に用いず、人天福報を求めず、この福徳を全て仏道成就に回向すべきです。功徳を多く修めんと欲すれば、勤めて戒定慧を修め、貪・瞋・癡を滅し、広く菩薩道を行じ、三蔵十二部経典を受持読誦し、参禅習定し、止観双運・定慧等持し、我見を断除し、明心証悟を期し、地々増上して修業し、円満仏果を成ずるべきです。これらは全て功徳であり、且つ大功徳にして円満功徳に至るのであります。
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