衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年01月31日    木曜日     第1開示 合計1220開示

福德と功徳の区別と聯繫

問:梁武帝が仏寺を建立して僧を供養した際、達磨祖師は功德がないと言いました。それなら福德ということになりますが、どのようにすれば功德があるようになるのでしょうか?

答:功德とは性德であり、心性の面において備わっている德能です。例えば煩悩を調伏することは功德であり、心を無漏に修めることは功德です。智慧を得ることは功德であり、戒定慧の三者がいずれも増進し、円満に向かうことは功德です。あるいは具足円満して、自ら受用できるだけでなく、他の人にも利益を得させることができる、これが功德です。一般に、功德は容易に退失することなく、成仏に至るまで受用し尽くすことができないものです。一方、福德は多くの場合自受用であり、享楽し尽くすことができ、滅壊することもあり、究竟のものではなく、福德を利用せずに悪業を行うことを保証することもできません。しかし功德は心を次第に清静 (praśama) させ、福德もまた増長させることができます。もし福德と功德を同時に得れば、福德は堅固なものとなり、絶えず増長していくでしょう。

そうは言っても、やはり福德を修めなければなりません。福德が足りなければ、功德も現れ難く、両者は相輔相成の関係にあります。しかし、修めて得た福德を世間法の享受に用いてはならず、人天の福報を求めず、この福德をもってすべて仏道の成就に回向 (pariṇāmanā) しなければなりません。多くの功德を修めようとするなら、勤めて戒定慧を修め、貪瞋痴を熄滅し、広く菩薩道を行じ、三蔵十二部の経典を受持読誦し、禅を参じて定を習い、止観を双運させ、定慧等持し、我見 (ātma-dṛṣṭi) を断除し、明心して証悟することを期し、地地に増上して進修し、円成の仏果を得ることです。これらはすべて功德であり、しかも大いなる功德であり、円満なる功德に至るまで続きます。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根の非量認知

次へ 次へ

修福の重要性

ページトップへ戻る