仏道を学び修行するとは無相の法を学ぶことであり、心は次第に世俗から離れなければならない。心が世俗と相から離れるほど、次第に清浄無為へと至り、出世間の無為法と相応するのである。世俗の最もありふれた祭事にさえ執着し流され、心を世俗に強く縛り付けているならば、どこに解脱の道があろうか。世俗人は俗気に満ちているが、修行者は最終的に俗塵を超越せねばならない。故に我々は世俗の法と深く繋がり、世俗界に沈み込み自らを省みず、道に背を向け続けてはならない。いつになれば解脱への大道を歩むことができるというのか。
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