衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年11月23日    火曜日     第1 回の開示 合計3546回の開示

因果空不空

因果には空なる面と空ならざる面の二重性があり、それはどの角度から観るかによる。空ならざるとは世俗諦の観点から見れば、因あれば必ず果があり、因果はすべて世俗の相であることを意味する。例えば善業が因であり、この因があれば必ず善果があり、悪業も同様に、悪業が因であれば必ず悪果があり、不善不悪の業が因であれば、この世俗法相の因があれば必ず世俗法相の不善不悪の果がある。因あれば必ず果あり、世俗法相が明らかに存在する、これが因果不空の意味である。

聖義諦における諸法実相と諸法空相の観点から見れば、善悪の業因も不善不悪の業因も、すべて如来蔵が顕現したものであり、生滅変異するものでその本質は空である。善悪の果報も不善不悪の果報も、すべて如来蔵が顕現したものであり、生滅変異するものでその本質もまた空である。もし業因が空でなければ、永遠に業因が存在し続け、衆生はいつ解脱できるだろうか。もし業果が空でなければ、衆生は永遠に業果の報いを受け、果報はいつ終わるだろうか。衆生はいつ成仏できるだろうか。生滅変異するものは空であり、不生滅不変異なるものは空ならざるものである。世俗法相はすべて生滅変異するものであるから、すべて空である。

もし不生滅不変異なるものが空ならざる原因であるならば、この不生滅不変異なる法こそが本心如来蔵である。如来蔵以外に不生滅不変異なる法があるならば、それが何であれ空ならざるものである。しかし如来蔵以外に不生滅不変異なる法は存在しない。見出し得るものはすべて如来蔵本体に関わる如来蔵の体性である。不生滅不変異なる如来蔵は世俗諦の因を現起し、世俗諦の果も現起する。如来蔵が空ならざるゆえに因果は必ず存在し、したがって如来蔵こそが因果の因である。如来蔵が空ならざる限り因果も空ならず、如来蔵が空であるならば因果もまた空となる。

深甚なる唯識の観点から見れば、世俗諦の因は如来蔵の七大種子が顕現したもので、その本質は依然として如来蔵の属性である。世俗諦の果も同様に如来蔵の七大種子が顕現したもので、本質は依然として如来蔵の属性である。したがって世俗諦の全体は如来蔵の属性に帰属し、世俗諦において如来蔵の影を見出すべきである。

回向文:当ネットプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界の平和を祈願します。戦争起こらず、烽火燃えず、干戈永遠に止み、一切の災害ことごとく消退せんことを。各国人民が団結相助け、慈心をもって相対し、風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを。すべての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ仏を学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教が永く興隆し、正法が永く住し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを祈願します。

——生如法師の開示
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