問:すべての人が菩提蔵を修めるように、無我、無色、無意識、口鼻舌身意がなく、石のようであり、自然の法則のようであるならば、本当に自分ではなくなってしまう。それはどのような境地なのでしょうか。大自在なのでしょうか?時々、無意識であることがとても恐ろしく感じられます!師匠、どうか迷いを解いてください!
答:我見を断ち切り、無我を証得しても、色・受・想・行・識の機能作用は依然として存在します。ただ心の動きが変わり、智慧が増しただけで、石のように無自覚で何もしなくなるわけではありません。無我の後はこれらの機能作用が空幻であることを知り、身・口・意の行いが清浄になり、次第に悪行や無意味な行為を造らなくなります。人はかつてと同じ人ですが、心が変わったのです。
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