衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月26日    月曜日     第1開示 合計107開示

衆生の見聞覚知性はいかにして生じるのか

第八識には本来七大の種子が含蔵されており、七大の種子は常に第八識の中に存在している。そのうちの一つが識大の種子である。第八識が識種子を送出すると前七識が生じ、如来蔵が前七識に識種子を送出すると、前七識は活動を開始する。第七識の作用は心所法の形式で行われ、第七識の心所法には五遍行心所法と五別境心所法があり、凡夫の第七識の心所法にはさらに貪・瞋・痴などの染汚性、つまりこれらの煩悩心所法も含まれている。

第七識が現行すると、心所法の形式で作用する。現行する前提として、第八識が第七識に識種子を送出しなければならず、第八識は刹那刹那に第七識に識種子を送出している。一指弾の間に八万一千の生滅種子が送出される(数字は単なる比喩で、一刹那に送出される種子の数が非常に多いことを表している)。一つの種子が生じては消え、また次の種子がその位置に生じては消える。生じては消え、消えては生じることで、第七識は無始劫以来連続して運転し続けている。第七識の運転は心所法の形式で行われ、五遍行心所法は常に第七識に伴って絶え間なく運行している。

第七識が六塵を了別しようとするとき、思心所が生起し、第八識がそれに応じて六識を生じさせる。眼根は色塵に向かい、耳根は声塵に向かい、鼻根は香塵に向かい、舌根は味塵に向かい、身根は触塵に向かい、意根は法塵に向かう。六根と六塵が接触し、対応するとき、第八識は直ちに六識の識種を送出する。眼識は動き始め、眼識の種子が次々と非常に速く、刹那刹那に生じる。生じては消え、生じては消えることで、眼識は一時的な了別性を形成する。眼識の了別性も心所法の形式で作用し、主に五遍行心所法によって行われる。もちろん眼識には善の心所法や煩悩の心所法もあり、五別境心所法が時として現行することもある。他の識も同様である。

第八識が第六識に識種子を送出すると、第六識が生じる。識種子が刹那刹那に送出され続けることで連続した識心の作用が形成され、一滴一滴の水が連続して流れ出て水流を形成するかのようである。識心が水流のようになると、勢力が生じ、識別・了別・思惟・判断などの作用を起こすことができる。第六識が多くの法で了別しようとすると、その分別勢力は必然的に弱まり、法塵を了別する際に明瞭に了別できず、智慧力が生じない。これは意根が至る所に攀縁する結果である。しかし、意根が攀縁を減らし、作意を少なくして意識に一つの法塵だけを了別させれば、第六識は一つの法で詳細に分別を起こすことができる。第八識はこの一つの法塵にのみ意識心の識種子を流し込むため、意識心の分別勢力は強くなり、了別は明瞭になり、智慧力は強くなって智慧を生じさせることができる。

続いて、これらの識種子が次々と第八識に戻り、再び第八識から生じ出て、また戻る。循環ポンプのように絶え間なく循環運行し、第六識はこのように常に分別し続ける。第六識の運行も心所法の形式で行われ、その中で五遍行心所法は確実に意識心の運行に伴い、さらに他の五別境心所法や善と煩悩の心所法、不善不悪の心所法もあり、これらの心所法は時として第六識に伴って作用を起こす。心所法の絶え間ない運行を通じて、七つの識は世間のあらゆる境界を了別することができ、それによって私たちは見聞覚知性を持ち、世間のあらゆる法を了別することができるのである。

——生如法師の開示
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一切法即第八識の機能

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